『月と六ペンス』
ストリックランド夫人について、もう一つ私の好きなところがある。婦人は身辺を優雅に処理している。婦人のフラットはいつも小ざっぱりとして、明るく、花で花やかさを添え、客間の更紗は模様は渋いのだが、それにもかかわらず明るく美しい。芸術的な小さな食堂での食事は快いし、食卓は感じがいいし、二人の女中もこざっぱりとしてキレイだし、料理もうまい。すとりっくらんどふじんが主婦として完璧であることは認めないでいられない。母親としても立派に違いない。客間に息子と娘の写真があった。息子は名前をロバートといって、ラグビー校在学中で十六歳。フランネル生の運動ズボンにクリケット用の帽子をかぶった姿の写真と、燕尾服にたち襟という正装のがあった。母親ゆずりの誠実そうな額と、美しい思慮深そうな目を持っていた。清潔で健康で、正常な感じがする。
「頭はいいかどうか知りませんけど、いい子だってことはたしかですわ。とてもいい性質を持っていますの」ある日、私が写真を見つめていると、夫人はそういった。 娘は十四歳だった。母親のようにたっぷりした黒髪をみごとにふさふさと両肩に垂らし、兄と同じように、深切そうな顔つきで落着いたおだやかな目をしていた。
「お二人とも奥さんそっくりですね」と私が言った。
「そうです。父親より私の方に似ていますわ」
「なぜ御主人に合わせて下さらないのですか?」
「お会いになりたい?」
夫人はほほえんだ。婦人の微笑は実に感じがいい。そしてちょっと顔を赤らめた。このくらいの年の
婦人がそれほど簡単に頬を染めるとは不思議なことだった。おそらく、こうした純真さが婦人の最大の魅力なのだろう。
「主人はね、ぜんぜん文学的じゃありませんのよ。全く俗な人なんです」
夫人はこの言葉を軽蔑を込めて言ったのではなく、むしろ愛情を込めて言った。まるで、夫の一番悪いところを白状することによって、自分の友人達から中傷を受けないですむようにしてあげたいと思っているようだった。夫人はちょっとためらっていた。目に更にやさしい色をうかべた。
「株式取引所で仕事をしていますの。典型的な株屋ですわ。死ぬほど退屈な目にお会いになりますわよ」
「奥さんは退屈なさいますか?」と私はきいた。
「だって私はあの人の妻ですもの。とても愛していますわ」
夫人は恥ずかしさを隠すためにほほえんだ。このような告白をすれば、ローズ・ウオータフォドだったら、必ずひやかしの言葉をださずにはおかな私もからかいはしないかとおそれたようだった。
夫人はちょっとためらっていた。目に更にやさしい色をうかべた。
「あの人は天才ぶったりしません。株式取引所でも大してもうけてはきませんわ。でも、それはそれはいい人で深切ですの」
「そんな方なら大好きですよ」
「いずれ、うちの静かな晩餐におよびしましょう。でもいいですか、覚悟の上でいらっしゃいませ、とても退屈な夕方だっても、私の生ではございませんことよ」
*
ストリックランド夫人はここではほんとうにいい人で 子供たちも感じ好さそうだし 御主人は株式取引所ではたらくごく平凡な人ということになっています。
「主人はね、ぜんぜん文学的じゃありませんのよ。全く俗な人なんです」
夫人はこの言葉を軽蔑を込めて言ったのではなく、むしろ愛情を込めて行った。まるで、夫の一番悪い所を白状することによって、自分の友人たちから中傷をうけないですむようにしてあげたいと思っているようだった。
ここのところでは ストリックランド夫人はこんなやさしいところもあって かわいいところもあると
然しここからどういう展開になるんでしょう
これは主人公がみた ストリックランド夫人ですか それとも
ローズ・ウオータフォドです 私は
この小説を読んでいますと きのうみたテレビ ナポレオンとジョセフィーヌの話とか興味深くみるようになります。 ナポレオンにとって この女性はミューズだったと思わせる所があります。しかしほかの人からみればどうだったのでしょう。 いまのところ 『月と六ペンス』ははじまったばかりです
*
つまり男女の仲は 恋愛は 清水明さんの『現代に生きる サマセット・モーム』
『月と六ペンス』はまず小説を読んでしまってから この本を読んでみますね。
今は この話はどうなるんだろうと思っている私がいるわけですから
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上の絵は ヘンリー・ミラーの作品です
話は変わりますが ナポレオンが馬に 勇ましくまたがっている絵は 島ながしになったナポレオンとはだいぶちがいます 元気いっぱいな馬上の騎士は ジョセフィーヌの存在が大きかったとすれば それはそれで