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モームさん

スキャン4752.jpeg『月と六ペンス』

 思い返してみれば、上は雲上にそびゆるはムステッドの高台から下はテェイニ街の果のアトリエにいたるまで獲物をさがし求める名士狩り連中の中でも、ストリックランド夫人などは最も無害の人だったと思う。婦人は田舎でごく静かな青春を過ごした。ミューデイ貸本屋から回覧してくる本は、その本のロマンスだけではなく、ロンドンのロマンスも同時にもたらしてくれた。彼女の読書熱は本物だった(こういう人達にしては珍しいことだ。こういうたちの人達は大抵、本より作家の方に、画より画家の方に、興味をひかれるものだが)、そして想像の世界をつくっては、その中で、自由気ままに暮らしていた。それは日常の世界では決して得られなかった自由だった。作家と知り合うようになった時は、まるで、それまで観客席の方からしか知らなかった舞台へ、思いきって初めてのぼるような気持ちだった。婦人は作家達を劇的に眺めた、そして、作家達をもてなしたり、彼らの要塞に訪れたりすることで、本当に自分自身が前より大きな世界に住んでいるような気がするのだった。作家達が人生というゲームをする際の規則も、彼らにとっては妥当なこととして受入れるが、かといって、自分の行いまで作家達と歩調をそろえようとは露ほども考えたことはなかった。彼等の道徳上の奇癖も、奇抜な服装や過激な意見や逆説と同じように、婦人をよろこばす一つの余興だったが、その影響によって夫人の信念がゆらぐようなことはいささかもないのであった。
「御主人はいらっしゃるのですか?」と私がきいた。
「ええ、いらっしゃるわよ。中央の方でちょっとしたことをやっている人らしいわ。たしか株屋だったと
思うけど。とても退屈な人だわ」
「夫婦の仲はいいんですか?」
「お互いに惚れ込んでいるわ。あの家の夕食によばれれば御主人に会えるけれど、あの人は、あまり夕食に人をよばないのよ。とてもおとなしい御主人でね、文学とか芸術とかには一切興味がないの」
「どうして善良な婦人は退屈な男と結婚するんだろう?」
「だって、頭のいい男は善良な婦人と結婚したがりませんもの」
女史の答えに対してべつに言い返す言葉も思いつかなかったので、私は、ストリックランド夫人には子供が
いるのかとたずねた。
「ええ。男が一人と女が一人。二人とも学校に行っているわ」
話の種がつきたので、我々は他のことを語り初めた。

考え事をしながら打っていました。
お客さんどういう話でした? ストリックランド夫人のことについて主人公とウオーター女史が
歩きながら喋っているのですね。主人公と打ちましたけど 名前はなんていうんでしたっけ。
時にふっとそういうことを考えたりして。で はじめのページに戻るんです。そうしますとストリックランドのことをここでは退屈な男なんですが はじめにはチャールズ・ストリックランドの偉大さは本物である
とあります。ふむとなるのです。自分は疑問が生じますと はじめのところにもう一度戻ってみたりします。いきつもどりつ 


さて 『現代に生きるサマセット・モーム』です。
『人間の絆』「世界最初のロードショウ 女の愛の激しさ、悲しさを描いてすべての人の心を焼きつくす
モームの名作、完全映画化! 新聞広告にはキム・ノヴァクの横顔が」モームの死の前年にも制作されているんですね。
新聞の映画広告。『誰が私を殺したか』ではベティ・デイヴィス(最初の人間の絆のヒロイン)など。
著者清水明さんは こういう広告をどうやって見つけられたのかなあ。切り抜き、それとも図書館で。
そんなことを考えました。

上の絵は子犬です
《 2021.02.17 Wed  _  読書の時間 》