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たった一日のライブ

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自分がカセットテープレコーダーを前に
一人ジスクジョッキーをはじめたのは どこらへんに起源があるんですかねえ

ある日 車に 夫の友だちをのせて 走っていた時 彼が
「これ 憲子さんの声と違うのん?」と運転している夫に
言ったことがあるんです たぶん私も乗っていたので 肩をすくめながら
ことのなりゆきを うかがっていたにちがいありません
えっというので いつものラジオ放送だと思っていた 夫は
「え なんじゃこりゃあ」ということになったのです
私は 長い間 こっそりとジスクジョッキーまがいの練習を
していましたので けっこううまくなっていたのですね

さて その起源を辿ってみますと・・

尾崎豊さんのドキュメンタリーを撮ったビデオからはじまるのです 
ビデオ(テレビからとったのかなあ)1993年娘にかりまして
見た時に 
−たった一日のライヴがしたい!ー
なぜか そう思ったんです
なぜそう思ったんですかね

尾崎豊さん 16才で音楽関係者の前で自作の歌を歌ったとき
この青年が言った言葉 彼のつくった歌の内容
そういうものが 私には じーんときたんですね

26才の若さで死んでしまった尾崎豊さんなのですが
2人の我が娘たちが 彼の熱狂的なファンでしたので
歌を何度も聴いていたんです
まあ 私のアトリエのとなりが長女の部屋 そのまたとなりが
次女の部屋なんです 毎日 彼の歌は 昼となく夜となくかかっていました

その娘たちの口から
「尾崎さんの歌を聴くとね これからもがんばろうって 
はげまされるんだよね 尾崎さんがいつでも どこでもいるような
気がするんだよねー」
そんなことを まっすぐいわれるんですよね なんかこそばゆいようでもあるんですが

でも そのうち 私も尾崎さんの人生ってどういうふうなものか 知ってみたい
そう思ったのかもしれませんね

さて そのビデオを見てみると 動かされるものがありましたね
なにが動かされたかって 16才で 自分の歌を音楽関係者の人たちに
聞いてもらおうって 思いきってやってきた 彼の勇気がね

夫も言うんですよ この豊って子が16才の時 大人の前で歌ったうたが そりゃあ
いいんだよ

それから そこに至るまでの話が あるんです
親に 歌手になる事を反対されていたのかな こういわれたんだそうです
「またおまえは 歌手になると言いながら ちっとも実行しない そんなんじゃあ
だめだよ」
つまりこのオーディションに出る前に 尾崎豊って子は それなりに
「どうしょうか やめようかな 行こうかな」と何度か迷ってるんですね

その16才を出発点とした彼の姿がみえてくるようで
私も含めて だれしもが16、7のころ なにものかになろうと
それぞれ思っていたんです おそらく と思い出すんですよ
でも 迷う ちゅうちょする たとえば田舎に住んでいるいるからとか
親の保護下にいるとか そういうわくがとりはずせなくて

それでも豊さんは そういう事を経て 行動しようと思う
そのエネルギーはすごかったんだろうな
自分もあのころにもどってみて その事を一生懸命考えている
そう思ったんです

何の話でしたっけ
そうそう ーたった一日のライブがしたいーの話でしたね
そこで自分の青春時代を話してみたい マイクに向かって
それそれ それがきっかけなんですよ

上の絵は 若い頃のファッションの絵です
ボタンが沢山ついているでしょう
何枚も描いたものです
ファッションデザイナーにもなりたかったし 画家にも
ダッシュがたりなかったなあ そう思いつづける持続力も
でも このくすぶりは その後 少しずつ こんなふうにちょろちょろと
続いているんですね

《 2019.12.26 Thu  _  思い出 》