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悲しくもうれしい話

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何度もした話の中の一つなんですが また話していいですか
思い出話ですから 何年も前にさかのぼります
末の子が 4才のときです
お腹が痛いといって保育所を休んでいます
そんななか 私は夫に言いました
「少しだけ この子を見てて」
夫が「うん」というと サッと自転車に飛び乗り
気がつけば だいぶ遠くまで走っています
田んぼ道を通り抜け けしきは葡萄畑に移り
わたしは今一体何をしようとしているのでしょう

今日は 自分の住んでいる地域の粗大ゴミの日なのです
そのごみを ひろいにいくのが 私の仕事です
ちゃう ちゃう ひろいにいくのが・・・
いまの私なのです
こうしてこんなことを書いていますと なんだか
気持ちが暗くなります

子どもがおなかがいたいといっているのに
これですからね 私は画家になろうとがんばっているはずなのに
ゴミ拾いに熱中しちゃって
だから 自転車はすいすい走っていますが 道中はかなりつらいのです
ゴミ女 物集女 私の気持ちはどろだらけ そんなかんじ
短歌でもつくれそうです
6年ぐらい こういうことをやっています
こどもは5人
悲しくてうれしい私のくらしぶりです
 
さて 悲しいのはこれくらいにして
あっ!いよいよ現場です 見えてきました
さっきからゴミゴミと私は連呼していますが
この山を見つけますと
夫のこともお腹の痛い子どものことも
なにもかも こう ぱーっと忘れてしまいます

自分はここを 宝の山とおもっていまして
自転車は いつもより はやくこぎ 気持ちは
とんでいます
ここには ゴミを集めるプロの収集人がきています
なじみのおっちゃんおばちゃんたちです
「よう きたか」
いそがしく手をうごかしながら おっちゃんは
むかえてくれるというか 私は「おはよー」とか
「うん」とかいいます
ただしおっちゃんたちがさがしているものと
私の探すものとはちがいます 競合することはないです

ゴミの山をのぞいたり ぐるっとまわったり ひっぱりだしたり
宝探しは 私の場合 こういうことなんですね
理窟抜きに ほんまにうれしいのです

子どもをおんぶして行っているときもありました
もう汗だくですよ でも 子どももこの宝探しについいて行くのが
すきなのは 背中でぴょんとするのでよくわかります

今日は背もたれのある子どもの椅子が欲しいのです
あいにく どのゴミの山にもありませんでした
ゴミの山は 何山もあるのです
それは しかたのないこと 長年の経験で あっさりとあきらめます
それより予想外のめずらしいものとか おもちゃとかに出会えるのが
こういうことのだいごみなのです
大袈裟ですか?

ーさて こんな経験が 何年もたって なにか人生勉強になったのかって?
それが なってるんですよ
ひろったもので オブジェを作ったり縫ったり じぶんのアートは
がぜんひろがりました ひろがりすぎて 「君何をやりたいの?」
ということでもありますが
それとか ほんまにうれしいことは こういうことなんやと
うれしいことの真実を 知ったってことかな おかしいですか?
いまの私は 体験学習をおこたっていると思います
いじるものが いっぱいあるので 一人遊び老人だからです
自転車をこぎつづけたのは 老人の足に足しになっていると思いますがなー


やっと帰ってきました
「おみやげは?」
「あるよ」
夫はまだ朝の新聞を読んでいました
このころ 夫は脱サラをして 画家になったのです
帰りは われにかえって気を使いました
ほっ



《 2019.10.26 Sat  _  思い出 》