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こころ 夏目漱石

「こころ」夏目漱石 つづき


 「私は寂しい人間です」と先生が言った。「だからあなたの来てくださることを喜んでいます。だから、なぜそうたびたび来るのかといって聞いたのです」
 「そりゃまたなぜです」
 私がそう聞き返した時、先生はなんとも答えなかった。ただ私の顔を見て「あなたは幾歳(いくつ)ですか」と言った。
 この問答は私にとってすこぶる不得要領のものであったが、私はその時底まで押さずに帰ってしまった。しかもそれから四日とたたないうちにまた先生を訪問した。先生は座敷へ出るやいなや笑いだした。
 「また来ましたね」と言った。
 「ええ来ました」と言って自分も笑った。
 私はほかの人からこう言われたら、きっとしゃくにさわったろうと思う。しかし先生にこう言われた時は、まるで反対であった。しゃくにさわらないばかりでなく、かえって愉快だった。
 「私は寂しい人間です」と先生はその晩またこのあいだの言葉をくり返した。「私は寂しい人間ですが、ことによるとあなたも寂しい人間じゃないですか。私は寂しくても年を取っているから、動かずにいられるが、若いあなたはそうはいかないのでしょう。動けるだけ動きたいのでしょう。動いて何かにぶつかりたいのでしょう。....」
 「私はちっとも寂しくはありません」
 「若いうちほど寂しいものはありません。そんならなぜあなたはそうたびたび私の家へ来るのですか」
 ここでもこのあいだの言葉がまた先生の口からくり返された。
 「あなたは私に会ってもおそらくまだ寂しい気がどこかでしているでしょう。私にはあなたのためにその寂しさを根元から引き抜いてあげるだけの力がないんだから。あなたはほかの方を向いていまに手を広げなければならなくなります。いまに私の家の方へは足が向かなくなります」
 先生はこう言って寂しい笑い方をした。


この二人のやり取りには どこかでクロスするのかもしれませんが 先生の思い過ごしかもしれない。心のうちは流動的なのかもしれませんが 年を取った先生はもう動いていないようにも みえます。もうこの若者の気持ちをつかんだような気持ちなのかなと。
自分が寂しいのだから 相手も寂しいだろうけど。しかし それに答えてくれる人をこの若者はまた捜しに この家から他にいくのだろうと。それはその若者の寂しさを 先生は引っこ抜いてあげるほどの力がないからなのだと。
これが 先生のとまっている 動きなんじゃないかと
若者は なぜこうたびたび先生の家を訪ねるのか わからない わからないけれども
動いてやって来る。わからないということは 流動していることなのかなと

えっ 勝手に自分流解釈をするなって
はい もう その名人なのだと 自分は思います
まちがっていたら それは おでこをかき あたってたら ホーと思います
だいたい寂しさが どんよりとまわりをただよっているのは 年を取ってからじゃないかな いや どうかな
お客さん どーなんですかね
まだこの話は いくところまでいってないのだから なんともいえない 
占い師じゃあるまいし そ、そーですよね

《 2018.12.28 Fri  _  読書の時間 》