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猫たちの隠された生活

「猫たちの隠された生活」エリザベス・M・トーマス

 わたしたちが記憶するかぎり、偶然の機会にライオンにまともにぶつかったのは、それ一度きりだった。とはいえ、ライオンを見たのはそのときだけではない。じつのところ、わたしたちはちょくちょく彼らを見かけた。しかしそれは、彼らの思惑しだいであり、彼らがわたしたちを見たいと望んだときにかぎられていた。それはわたしたちが新しい場所に移るか、あるいは長い中断のあとふたたびなじみの場所にもどって、一日目か二日目の夜が多かった。自分の領域でのできごとには監視を怠らない動物の常として、ライオンはかならずわたしたちを点検しにやってきたのだった。
 現在でも、わが家の三匹の猫は見慣れない車が家の前に駐車するたびに、ニャエ・ニャエのライオンを思い出させてくれる。まず猫たちは雲を霞と姿をくらませる。見えないところで、ことのなりゆきをうかがい、いったいどういうことかと考えているのだ。しばらくすると、どこからともなくこっそり姿をあらわし、用心しいしい車に近づいてゆく。ほどなく彼らはタイヤのにおいを嗅ぎ、その物体の匂いに得心が行くと、やおらフードか屋根の上に飛び乗り、そのままじっとすわっている。つと首を上げ、耳をぴんと立て、尻尾は垂らし、腰を落として背中をのばし、油断大敵とでも言わんばかりの態勢で。彼らはどんな季節であろうと、昼であろうと夜であろうと、これをおこなう。猫たちはたちは高いところにそそられるのだろうか。車を山のようなものと考えて、その高さを試してみたいのだろうか。人が材木や干し草の山に登りたがるように。
 しかるのち、ドアが開いていれば、猫たちは車の中に入って内部を点検する。まるで自分たちの世界に、車がどんな新風を吹き込んでくれるか調べでもするように。わたしたちは訪問客に、車から誰もいなくなるときはかならずドアを閉めるようにお願いする。猫が閉じ込められたまま、どこかへ連れて行かれては困るからだ。(そのような事態はわが家ではないが、近所で発生したことがある。でも運が良かった_ヴァンの持ち主は電気屋だったが、自分が連れ去ったのがどこの猫かわかって、親切にまた送りとどけてくれたのだった)。

***

「あの うちの猫たちの写真を 今日 入れればよかったな。 家の車のうえで じっとしているところ」
わたしはこのページを打ち終わって そう思いました。

わたしたちとトーマスとちがうところは よおく動物のことを観察していることですね。
これを読んで 「そういえばそういうことやってたな。そういうことだったのか」とね。

 まず猫たちは雲を霞と姿をくらませる。見えないところで、ことのなりゆきをうかがい、いったいどういうことかと考えているのだ。しばらくするとしばらくすると、どこからともなくこっそり姿をあらわし、用心しいしい車に近づいていく。ほどなく彼らはタイヤの匂いを嗅ぎ、その物体の匂いに得心がいくと、やおらフードか屋根の上に飛び乗り、そのままじっとすわっている。つと首を上げ、耳をぴんと立て、尻尾は垂らし、腰を落として背中をのばし、油断大敵とでも言わんばかりの態勢で。彼らはどんな季節であろうと、昼であろうと夜であろうと、これを行う。

猫とライオンと ネコ科の動物のとる行動は 基本的に似てるんでしょうね。うちの猫たちはミニライオンだったんですね。
《 2017.10.09 Mon  _  1ぺーじ 》