who am ?I

PAGE TOP

  • 10
  • 18

どう見ているか

スキャン3274.jpeg
「わたしたちは ぜんぶを見ているわけではない」NEKO美術館発

きのう ともだちとはなしをしていたら 彼女の実家でのはなしになりました。
とだなから 彼女の幼い時の写真を 見て 笑っちゃった そんなはなしから
彼女のお父さんの写真のとりかたについても。どういうとりかただというと 彼女たちがみんな小さく写っている というわけなんです。これじゃあ はっきりわからないじゃんというんですが それらの写真は 神社なら鳥居から その背景の山まで ぜんぶが入り込むようにとってあるって言うのです。
そこらへんから 彼女のお父さんの 写真の取りかたが 見えるようでした。
娘たちも景色もみんな大事なんですね。そうなのかと納得しました。

わたしはどっちかというと 写そうと思ったものや人はなるたけ大きく写そうとしているようです。それが私にとっては当たり前なので このお父さんの話は興味深かったのです。 

で こんどは 上の写真です。なかなかレトロでしょう。ええっと ああ 誰一人として思い出せない。これはやばいですよ。ここでそのままにしておくと ますますダメ頭になりますので 夫セイに聞きにいってきます。こんなとき忘却辞典手がかり表みたいなのがあると ほしいですよね。 もうはなのさきまでその名前は来ているのに おもいだせないちゃんが じゃましてるという。

宇野あきら 寺山修司 明日は忘れてるでしょうね。

さきほどの 彼女のお父さんの視点は 全体を写すことなんでしたね。
この写真はだいぶ前にとったものですが modern juice  5  のところに 椅子があるでしょう。その下に人の足がついていたんですね。これは気がつかなかった。椅子が走っているとしたら コーヒーカップも揺れますよね。だからコーヒーがはねているのでしょうか。
これはどういうことなのかというのはわたしは気にしません。椅子に足が生えていたら面白いだろうぐらいな。「わけわかんねえよ」それはわたしの若い頃 そんな笑わせる絵 結構ありましたからね。
ということはわたしは なにかを 見るとき 上から下へ向かって見ているのかもしれません。どんなときもそうなのでしょうか それは気をつけていないのでわかりません。
で 上から下まで きっちりと見てないとも言えそうです。これは自分の性質なのかもしれませんね。
向かって左の文学読本の上はなんて書いてあるんです?尾崎 雄崎?

もういいですね

《 2017.10.18 Wed  _  これくしょん 》