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生きるとは

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「生きるとは自分の物語を作ること」考える 新潮社2008

河合隼雄 小川洋子 対談 つづき

「原罪」と「原悲」

小川 カウンセリングをする時には、患者の方と先生はどういう位置関係でしょう。
河合 いろいろです。だいたいは対面にしますけど。
小川 今の先生と私くらい、小さな机をはさんだくらいの距離ですか。
河合 そうですね。中学生ぐらいやったら、体温が伝わるようなかなり近くに座ることもあります。ちょっと関わったり、ちょっと外したり、一緒に散歩したりもしますね。
小川 歩きながら話すんですね。ウイーンに行った時に、フロイト博物館を見学しました。フロイトが自宅兼診療所を開いていたところが博物館になっているんです。カウチが当時のまま残っていました。
河合 フロイトの場合、患者はカウチに寝転がって、自分は患者の後ろにいるんです。
小川 そのカウチに掛かっているひざ掛みたいな布も、いかにも当時のままという感じでした。びっくりしたのはすごく部屋が暗いんですよね。窓はあるんですが、光も入ってこない、わりと閉ざされた部屋みたいな感じでした。
河合 そう、ちょっと薄暗いですね。明るくはしない。
小川 座る位置に興味を持ったのは、私の家は、両親、祖父母みんな金光教の信者で、祖父は金光教の教師だったんですが、金光教では、教師と生徒さんの座る位置が独特なんです。祭壇があるとすると、祖父はそれに対して九十度の方向を向いて座る。で、祖父をはさんで信者さんが座る。こういう位置関係で、祖父は、こっちの耳で神様の声を聴いて、反対側の耳で信者さんの声を聴いて、両者を取り次ぐという役目なんです。
河合 面白いですね。

***

「座る位置」 あんまり考えたことがなかったですけど 
フロイトの場合、患者はカウチに寝転がって、自分は患者の頭の後ろにいるんです。
部屋はびっくりするほど暗い 窓はあるけれども 光も入ってこない わりと閉ざされた部屋みたいな感じ

小川さんの祖父母 両親はみんな金光教の信者 金光教では
祭壇と教師(祖父)はそれに対して九十度の方向を向いて座る
で 教師は こういう位置関係で 教師はこっちの耳で神様の声を聴いて
反対側の耳で信者さんの声を聴いて 両者を取り次ぐという役目をする

ふーん そうなんだ この位置関係 なぜかわかりやすいし 面白いですね 
うちの台所の椅子の 位置関係をなぜか 考えてしまいました(笑い)

のりこギャラリーでは
この写真の位置関係は このダイヤモンドのような雪の結晶を中心に
考えてみました。まるでこれが絵で 額には入っているように
見えたからです。
《 2017.09.03 Sun  _  1ぺーじ 》