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生きるとは

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「生きるとは自分の物語を作ること」考える 新潮社 2008

河合隼雄 小川洋子 対談 つづき

河合 神様の命令じゃなくて、神様を悲しませないように、というところが面白いね。さっきの続きで言うと、キリスト教は「原罪」の罪が基本であるけれど、日本の宗教は「悲しみ」が根本になるのが多いです。
小川 情緒的というか感情的なんですね。
河合 だから僕は、「原罪」に対して「原悲」があるという言い方をしています。日本のカルチャーは原罪じゃなくて、原悲から出発しているから、と言っているんです。金光教はその最たるものやね。面白いねえ。
小川 日本語の「かなしい」という言葉には、いろいろな意味がありますものね。
河合 「悲しい」や「哀しい」、「愛しい」も「美しい」も全部「かなしい」ですからね。
小川 キリスト教やユダヤ教だと、一人の立派な神様がいて、人間はみんな罪を背負っていて、人間と神様はその関係を、お互いに了解し合っている。
河合 ああいう宗教を背景にしないと、今の自然科学とか、個人主義というのは出てこなかったでしょうね。われわれ日本人は自然と繋がり過ぎているから「客観的観察」いうことが出て来ないんですよ。
小川 仏教もそうですよね。
河合 同じです。ところが西欧の宗教では、神と人は明確に違います。姿形でも、人は神に似せて作られているから、人と他の被造物とも明確に違う。だからそこにピシッと線が入る。「私がー落下する石を観察する」という明確な区別があるから、近代科学が生まれたんですね。
「観る」という漢字がありますね。外界を「みる」のも、内界を「みる」のもあの「観」です。「観ずれば」言うたら、自分の胸の中を観てるでしょう。
ところが「観る」の英語observeは「外」だけを「観察」してるんです。そういう態度は、おそらくキリスト教以外からは出て来ないんじゃないか。
小川 客観性を持つということですね。

***

われわれ日本人は自然と繋がり過ぎているから「客観的観察」いうことが出て来ないんですよ。

ところが「観る」の英語observeは「外」だけを「観察」してるんです。

私はわからなくなってきましたよ ここは。
日本の神さんと キリスト教の神さんとどこが違うんかなあ。
しっかりとわからないまま


ノリコの部屋です

ものごとは 私の場合 「まったくわからないライン」があるんです。
その手前で たちどまる
で いいかげんにしておくんです
この作品 そうとも見えなくはないンじゃないかと
《 2017.09.06 Wed  _  1ぺーじ 》