「ピカソとその周辺」フエルナンド・オリヴィエ著 佐藤義詮訳
黒人と写真 つづき
ところが、この話はここで面白くなるのだが、彼は実際にボタンがついていた場所にそれを描く必要はないと判断して、体全体をボタンで囲んでしまった!彼は同じように腕章を腕の脇と頭の上に描き加えた。この事実からどんな注釈が引き出されたかを述べる必要はないと思う。このことがあってから、立体派の絵画にはいろいろな不思議な物が描かれるようになった。
ピカソがその絵に新聞紙やガラスや様々な物を貼り付け出したのは、その頃のことである。彼は既に名前や文字を画面に書き入れていたが、立体派はこの頃からより物質的なより正確な形式をとるに至った。
この抽象的な形式は次第に重要視されるようになった。しかし私は誤りを犯す懸念なしに、どうしてこの話を続けられよう?実際立体派には公式というものがあったのだろうか?それを実証することができそうなのは、ピカソだけである。
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立体派 ふむ 絵に新聞紙やガラスや様々な物を貼り付け出した?
今では あたりまえのようですが 立体派がそういうことを始めたんですか。
絵の上に のせていく 絵を立体的にする
わたしはベタベタ物をノリなどで貼り付けていきましたが ピカソは構成がしっかりしていますね。
わたしは 構成というものが てんでなってないですね 絵からは離れてみて そういうことがよくわかるようになりました。
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ノン立体派ノリコは 今日の出し物は これです。
あさ ふとんのなかで カワバタエプロンのパッチワークのふくろのことを
考えていたんです。
これを 部屋一杯に敷き詰めてみたら どんな感じだろうってね。
想像では とてもうまくいっていて いいなあと 飛び起きたんです。
で やってみました。
思ったよりも これが うまくいかないんですね。
よくあることなんですが
すきまは 獣道のつもり
じしゃくです ぞうのうしろにあるのは
上手く行かないときには 動物達に登場してもらって
こんなふうになるんです
ぬいぐるみやふくろ これは立体ですよね
ピカソはそういう立体を(絵の具で描いたもの以外の)あくまでも絵の中に取り入れて
絵としてみせていますね(そうですよね)
私?いえね そこんところは
「実証できるのはピカソだけである」芸術家は 考えてるんだな