ふあさんからのおたよりのつづきです。
5月28日 まじめなこと
この急須はすごい。ほんとにゴッホやガウディや、ええと弥生時代の前はなんでしたっけ、ど忘れがこのところ多いです。そうそう縄文時代の土器みたいな、エネルギーがこもっています。こんなにエネルギーをこめることができる人はそうそういないと思います。
20代のはじめの頃、目の前にラワン材の木の切れっ端があって、急に思いつきで、「自分の中に縄文のようなものがあるかどうか、彫ってみよう」と思いつき、半日かけて土偶のような女の人を彫りました。道具がなかったのでカッターナイフだけでした。作品としては自分で言うのもなんですが、まあまあ。大きな垂れ下がったおっぱいと上を向いた顔のものです。でもあの縄文時代の人のようなエネルギーはこもりませんでした。そうか、おれはそんなエネルギーがないのだと妙に納得してそれきりになりました。今でもその木彫り、玄関に他のいろいろなものと一緒に飾ってありますけど。
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ふあさん ありがとうございます。
父も 「そうか うれしいなあ」と思うでしょうね。
ところで ふあさんの「縄文のようなものがあるかどうか、彫ってみよう」この経過の話が とても面白いですね。 そういうことを思い付くところがね。
それも垂れ下がったおっぱいと上を向いた顔。 そうですね だれかがそういうのを「縄文のマドンナ」とか言いませんでしたか? 美しさの基準はいろいろあると 思ったものでした。 ふあさんのその作品見てみたいと 皆さん思いませんか?
表現のきっかけが そこにあるなんて そこから「ふあ発」ですね。
それひとつでも もう ふあさんは やりましたね。
父にも霊界通信で(笑い)「お父ちゃん このエネルギーだけでも この世で やりましたね」
通じるかしらん。