「ピカソとその周辺」フェルナンド・オリヴィエ著 佐藤義詮訳
ロリュジュワール大通りのレルミタージュ
私が名前を挙げてきた若い画家や放浪芸術家の大部分は、その頃は既に一人前の芸術家として認められるようになっていた。だからカフェ・ド・レミタージュは、ほとんど名をなした芸術家だけを迎える光栄を持った訳である。
1910年、11年、12年のカフェ・ド・レルミタージュは、喧々器々たるものだった。不思議そうな不安気な人々が、カフェの右側の張出しに、オーケストラから少し離れて陣取っていた芸術家の一団を見守っていた。オーケストラは、芸術家たちを退屈させたが、名ヴァイオリニストである楽長は、名曲を演奏し、特に彼らの注文の曲を聞かせたものだ。
この気の毒な楽長は、彼が彼らをここから遠ざけているということについて、未だに錯覚を抱いているかどうか?実際彼らは誰一人として彼の演奏に耳をかさなかった。当時は未だ知られていなかった黒人音楽を演奏したのだったら、確かに事情は別だっただろうが。
ブラックはアコーディオンだけが、ピカソはギターだけが好きだった。マック・オルランはアコーディオンと共に特に狩猟用ホルンが好きだった。
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フランス語のカタカナ発音はもうじゅわじゅわですね。
この本を打たしてもらってて フランス語はなかなか名前でさえも めんどくさいな
でした。
で カフェ・ド・レルミタージュでは つまり 楽長の演奏に耳をかしてる人は 極めて少なかったということなんですね。
ええっとこの上の絵は「ピカソになってみよう」と思いついた時期のものです。
私はけっこう人まねはしないという心構えは あったのですが そのくせ影響はいっぱいうけてしまうのでした。
でもピカソのときはあえて「ピカソになったら どんなかんじなんだろう」そう思ったのをおぼえています。 まずピカソになるなら 男にならなくてはね。
なんてふうなところから。で 記号やら変化やら意外性やら さっさと実行してしまうんです。まあ、気持ちよかったことを覚えていますね。
だからこの絵は わたしが描きましたよ。