「ピカソとその周辺」 フエルナンド・オリヴィエ著 佐藤義詮訳
またしてもこの絵はがきはピカソの絵ではありません。MariHube LTDとあります
モノマネ大会優勝とでもいいたくなるくらい。
つづき
バルセロナにて
ピカソもやはり彼の強い訛は治せなかった。彼はパティスリー(菓子屋)という言葉を知らないで、菓子がガトーだからといって、菓子屋のことをガトーヌリーと呼んでいた。彼はまたオン・ヴァ・ス・ルヴェ(起きるところだ)というのをオン・ヴァ・ス・ヌー・ルベ、 オン・サン・ヴァ(出かけよう)をオン・ス・アン・バ、 ジュ・タンブラス(私は君にキッスする)をジュ・トゥ・アンブラス、 ジュ・ヴィヤン(行くよ)をジュ・ビヤン、ヴォロンティエ(喜んで)をボロンティエールマンと言っていた。 もっとも、私が知っていたスペイン人の大部分も同様だった。
セレはピカソの気にいってしまったので、彼はスペインにはご無沙汰して、喜んでそこへ休暇を過ごしに行くのだった。
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お国なまりはパリでも出ていたんですね。
フランスでのスペイン 国際的なお国なまり
うえの絵はがきの絵 元気あるでしょう
目や指 もう魅力いっぱい。笑いもありますよね
ピカソの絵じゃないところが また