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母の思い出話

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母が書いていたこと


末っ子の妹は父のなくなる少し前にうまれた。
きびしかった父も妹には甘く大変可愛がった。
どうしてこんなに可愛いのかこの子と早く別れるのではないかと 父は口ぐせのようにいっていた。母も末っ子の妹を大変可愛がった。
妹のいくつくらいで父が亡くなったのかさっぱり思い出せない。
妹は大変なおしゃまさんで近所の友だちと学校に行くのに一年生のくせに鍋島さん学校に行きましょうと誘ってみんなに笑った。ちいさいときは名前にちゃんをつけてよぶのが習慣だった。
妹はからかわれるとよく私のところに助けを求めてきた。それは妹のパーマのようにすこしちじれげで色白で目が大きくパッチリして鼻が高く口びるが可愛く本当に日本人離れ下西洋人形のように可愛かった。それで男の子たちは背用人形西洋人形といっていつもからかった。妹は泣きながら西洋人形といったといって私に泣きついた。
わたしはいつも憎まれ役で 今度から云ったらこらえへんぞといって頭のひとつもたたいて追っ払った。あれだけ可愛がっていた父も死亡し 妹は上級学校にも行かず 私たちのいる神戸のほうへ来て何かとお世話になった幼稚園の園長サンの家にお世話になることになった。大変可愛がっていただき幸いだったが病んで家に帰り田舎のことでありまだ生活の安定していない時期だったので僅か17歳の若さで亡くなった。母の悲しみは深くなぐさめようもなかった。未だに弟ともっと豊かであったならよい医者にかかり何とか助けてやれたのにと話し あきらめ切れぬ妹の死だった。愛してやまなかった父母の元で幸せに暮らしていますようにいのらずにはいられない。
姉の長男と妹は同い年である小学校に行く頃になるとおしゃまな妹は姉の息子におばさんといえという。先方も負けずに同い年の叔母さんがあるものかと常々けんかをしていた時のことを思い出す。これも楽しい思い出となった。まだ美しかった幼い日 成長した妹の顔かたちがあざやかにうかぶのである。

***

きょうは3家族が来ていて忙しいです。母のこの「妹」についてまだ書きたいですが こんどにしますね。
《 2017.05.05 Fri  _  思い出 》