who am ?I

PAGE TOP

  • 03
  • 14

シューマン

「音楽と文化」河上徹太郎 創元社 昭和13年

シューマン つづき

 1850年、シューマンはデュセルドルフのオーケストラの指揮者の地位についた。
あまりに音楽的環境に恵まれた彼は、指揮者としては決して適任者ではなかった。彼は自分では不注意で、楽員には怒りっぽい楽長であった。遂に彼はその地位を友人のタウシに算奪されてしまった。
 若きブラームスが彼の前に現れたのはその頃であった。彼はその当時のヴァイオリンの大家ヨアヒムの紹介状と、未熟であるが、独創性に満ちた自分の曲とを携えて彼を訪ねた。彼はブラームスのことを「当然現れるべき作家」だとヨアヒムに推奨し、又自分の雑誌でこの「深みのある歌謡的な旋律」をもった音楽の将来について予言した。この知遇に感じたブラームスは、彼の死後未亡人クララと共にシューマンの作品を永く伝えるあらゆる努力をした。やがてシューマンの最後は近づき、発狂ー投身ー監禁ー死亡という悲劇の連続が起こった。しかしそれをここに述べることに私は興味がない。何故なら、その時既に天才音楽家シューマンは死んでいて、単なる一狂人の哀れな、しかしありふれた一聯(いちれん)の事件がある許りだからだ。ニイチェと違って、狂気の前兆は仕事の上に「好」影響を与えたとは思えない。彼の晩年の管弦楽曲には、無味乾燥な錯雑さが時々
覗われる。これが初期のあの絢爛な知的繊細さの成れの果かと思うと、一寸淋しい気がする。

***

これで シューマンの話は終わります。

ここにいままでのなかで見つけた こんな文章があります。

「有名な『謝肉祭』や『子どもの情景』に至るまで、曲の性質から言うとアラベスクでないものはない。高貴なペルシャ絨毯の如く、手触り硬く全体でなよやかな質材を精妙に織りなせるアラベスクである。
 その結果いえることは、これは音楽一般についていって間違いのないことであるが、シューマンの曲はたどたどしく弾いて一つ一つの音を噛みしめて味わっても、全体流暢に弾いたときと別個の味があって面白いのである。全体を完成されたテクニックで調子よく弾かねばつまらない(たとえばベートーベンの初期の曲などそうであるが)というのは、決して一流の音楽ではない。バッハ、シューマン、ショパン、ドビュッシー等真に独創的な音楽は、一つ一つの音にぶつかりつまづきながら辿っていかねば、我々音に鈍感なものには聞き逃している音がある。特にシューマンの繊細さが経過音的な音と音とが絡み合って生まれでるものなら、ゆっくり弾くことは彼の微妙なアラベスクを一つ一つの繊維に解きほごすことであり、正当な分析的鑑賞をしていることになるのである。」

私にはとてもむずかしい文章ですが 「音にぶつかりつまづきながら辿っていく」バッハやシューマンの楽曲の中にはそういうものがあるのかと。
絵でも そういうものがあって 深みも感じられると 気づかされました。
アラベスク ペルシャ絨毯。 そうですか。

そんなこといまごろ気づいたの?
67歳にして 気づくところがいいのよ









《 2017.03.14 Tue  _  1ぺーじ 》