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ピカソとその周辺

「ピカソとその周辺」フエルナンド・オリヴィエ 佐藤義詮訳 昭森社 1964

ヴァン・ドンゲン家の夜会 つづき

ヴァン・ドンゲン夫人は、夫の絵<海岸の水着の女>の習作を再現をしようともくろんだのだった。夫人がその夜演じた姿は、確かにヴァン・ドンゲンの傑作だった。
 丈が高く、非常に美しい線をした彼女の黒の水着は、緑と紫とが交錯し、自然の美しさをそこなわずに、皮膚の陰影を素晴らしく浮き出させていたメーキャップを、一段と引き立たせていた。彼女は大成功を収めた。
 滑稽な貴婦人に扮したジャックリーヌ・マルヴァルは、夜会の間中低い安楽椅子に掛け通しで、踵のとても高い靴の爪先を合わせて、彼女の脚で優美なアーチを作っていた。
 ポアレとヴァン・ドンゲンを除けば、男たちはあまり目立たなかった。酒神に扮したポアレは、彼の思い出の記で述べているように、金色の頤髭をつけていた。これは、彼が多くの場合に金を使い過ぎたことを証明するようなものだった。ヴァン・ドンゲンは、しきりに扮装を変えて喜んでいた。
 悪魔(赤い肉襦袢を着た)に扮し、次にはアラビア人に、次には何だったか、私はもう覚えていない.....。骨が外れた大悪魔に扮して、絶えず手振りで喋っていた彼の姿が、特に私の記憶に残っている。
 フランドラン始め大勢の芸術家たちが集まっていた。医者もいたし、市民も大勢いた。社交界の紳士淑女がその他が相次いでやってきて、画室の中に割り込むのに大変苦労していた。
 人々は踊ったり、飲んだり、食べたり、片隅に集ったりしていた。時々錯乱した一組の男女の甲高い笑声が起こったが、それは寝室に改造された広い中二階から聞こえてくるのだった。マグネシュウムがたかれ、写真が撮られた。例のアラビア人は、夜会の終わり頃には、他の連中よりはしゃいでいた。雑多な騒音が聞え、幾組かの恋人同士の言い争いが始まり、あくびをかみ殺す幾人かの独り者がいた。およそ風変わりなことなら、なんでもそこで見られた。

***

ここでは どんちゃんさわぎだったのですね。
第一次世界大戦前夜 まるで映画のいちシーンのようです。
オリヴィエはほんとうにその場を再現する記憶力にすぐれた人だと思いませんか?
 
《 2017.02.25 Sat  _  1ぺーじ 》