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セザンヌの手紙

「セザンヌの手紙」ジョン・リウォルド編 岩田満寿夫訳 日下部書店発行 昭和17年

エミイル・ベルナール宛 エクス、1905年10月23日

親愛なるベルナール。
 君の手紙は二重の意味で私には嬉しい。一つは、ごく個人的理由だが、類のない唯一の目標を絶えず追求しているところに生ずる単調さから暫時わたしをすくいだしてくれたことで、この単調さは肉体の疲れと同時に一種の知的衰弱をもたらすものです。も一つは、眼前に現れて我々に画想を与える自然の一態を描き出そうと日頃努めるにあたっての私の頑固な信念を、くどいようだが繰り返して君にまた述べる機会が与えられたからです。そこで私のいいたいのは、自然を前にして、自身の資質の至る力量がたとえどうであろうと、人のかって試みた一切のものを忘れ去って虚心坦懐、自身の眼底に映じたままのイマージュを描き出すことに努めよということです。この心がけこそ、芸術家をして大なり小なり自身の全き個性の獲得へ導く筈のものです。 
 70歳に手が届こうかという今にして漸く私の裡に輝き出た新たな色彩感覚は、画布に塗りたくるわけには到底ゆかぬような、また仮に行い得たとしても物と物との接触があるかなきかの微妙な関係を有している場合にはそれらのあいだの境目を決めようにも決められぬ仕儀に立ち至るような、一種異様な幻を惹き起こすのです。即ち、私のイマージュの至絵が不完全ならざるを得ない所以です。ところで一方、物のさまざまな面が重なり合っているというところから、濃い線で物の輪郭をつけるという所謂新印象派の技法が生ずるに至ったわけでしょうが、あれはまづいやり方で、()らく排斥すべきものです。ではその場合どういう手段を講じればよいかという問題になりますが、それを会得するには各自が自然に問いただしてみる他はありますまい。
 君がトネエルにおいでのことを忘れたわけではないのです。しかし、ふだん家で家族の者の相手をしてやれないだけに、せめて他の点では彼らのいいなりになってやらねばならぬような次第で、なかなか自由が利きません。彼らは、時には私を眼中に置かずに、身勝手なわがままを言い出しますよ。これが人生でしょうか。この年齢になって、私はなおもさまざまな経験を積んで、世間でいう善き行いに役立てねばならぬのでしょうか。私は君から絵のことではずいぶん励まされもし訓えられもしました。全くですよ。奥さんと子供さん方によろしく。
         君の年老いたる ポオル・セザンヌ

***

エミイル・ベルナールは画家で、セザンヌの熱心な崇拝者であった。彼は早くも1892年にセザンヌに関する一文を公にしたが、彼と相知るの機会に恵まれぬまま永年を経、漸く1904年にエクスを訪れ、宿望叶って親しくセザンヌの宴咳()咳に接するを得たのである。その時の詳しい模様は、彼の著書「回想のセザンヌ」に述べられている。(註)

昔の漢字は私にはむずかしく ()や想像さえ入っていることもあります。役者の岩田さんごめんなさい。このセザンヌの手紙を読みますと エミール・ベルナールにセザンヌの絵について考えていることを 「くどいようだが」といいつつもしっかり述べていますね。こういうことをなんどもしゃべったのでしょうか。そりゃあセザンヌさん しゃべりたいし書きたかったと思います。

このエミール・ベルナールには何通も手紙を書いています。よき理解者だとセザンヌは思ったんでしょうね。この手紙にはセザンヌのそれまでにつちかってきたことが しっかりと書かれているように思いました。

これを読んでいると 絵を描くという心構えは 日々の積み重ねから得たもの 自分の眼がとらえたもの をしっかりとかくという 大変な努力の結晶なんですね。

私ですか?(誰も聞いてえへんって)ちょっと甘かったかも。で こんなNEKO美術館までつくって いいたいこといって この時代に感謝します。

セザンヌは 妻や息子のこともちゃんとかかわれていないという 後ろめたさも書いていますね。今にも通じるお父さんセザンヌ。実際セザンヌに出会うとどうだったかわかりませんが こうした率直な手紙の魅力は十分ありますね。
家庭的ということを善人と表現したのでしょうか 両方を満たすことはできない そう それだけにセザンヌの絵に対する真剣さが伝わってきませんか?

《 2017.02.04 Sat  _  1ぺーじ 》