ショケエの肖像
この2点の作品は 向かって左がルノアール 右がセザンヌのものです。
ルノワールの作品には 肌の感触とか 長い指とつめまで 雰囲気が伝わってくるようではありませんか?
かたや セザンヌの作品は人物でありながら 物としての構成がざっくりとしていて 筆はこういう風に絵の具をつけておいてみたいもんだと 思ったりしませんか?
十代の頃は ルノワールはすごいなぁと またとうてい近づけない技術を持っているんだと思っていました。いまもそれは変わりませんが。
ところが 絵という表現の中には 美しいと感じるといっても「めざすかたち」「構成」「バランスの取りかたや調和」など さまざまにあるということを 自分はしることになるのです。そんな入り口をこうした画家たちから 教えてもらうと 絵はさらに面白くなるようです。
芸術家たちがおたがい「しのぎをけずる」のはその発見や表現の理由 スタイルなどでしょうか。その先頭を走っている画家たちに 私たち観客は驚いたりうなずいたりしますね。
さてきのうのつづきも興味深いので打ってみますね。
少年時代と妹たち
セザンヌは激しやすくて手におえないようなところがあったが、一方、女性的な繊細な感受性があって、家中でその取り扱いに困るようなときがあった。
妹のマリーとは仲がよかった。セザンヌを上手に扱うことができるのはこの妹だけである。小学校に通うとき二人は手をつないで行った。
この妹はセザンヌが画家を志望して、父に反対されたとき、母と一緒になってセザンヌの味方をしたし、はじめてパリへ父と兄が行くときにも、ついていった。
マリーは生涯独身であった。セザンヌの家計を一切ひき受けていて、セザンヌの死ぬときの看護もしている。
マリーの下にローズという妹がある。セザンヌより15年下であって、彼女は、マキシム・コニールという人と結婚し、何人かの子の母となった。その姪たちへのセザンヌの手紙が残っている。聖体拝受式の招きへの返事などで、それは普通の親戚づきあいである。セザンヌは、ふだんは普通の人であったようである。
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「ふだんは普通の人であったようである」
このことば あたりまえで 私もポケットに入れておきたいです はい。
「セザンヌの手紙」によりますと エミール・ゾラに宛てたものではその激しい詩などもありますが 絵の蒐集家などには普通の手紙や依頼を送っているように思いました。
優しい面も よく文面からはうかがえます。
ゾラとの手紙がとだえた後 それは息子に宛てたもの この肖像画にあるショエに宛てたものといろいろありますが。 息子にはそれは父親としてのごく普通の手紙のようです。妻のことも気づかっています。
自分の目ざすこと セザンヌにとっては絵を描くことですが そこは激しくなったりゆずれなかったり 傷ついたりするのは 当たり前といってもいいんじゃないでしょうか。
こどものころは取り扱いに困ることもあったそうですが その取り扱いのコツをふまえているのは 妹であったというふうに書いてありますが そういうことはよくあることでしょうね。と つい自分の家のところにひきつけて受け止めてしまいますが。
「そんなことより 絵を見てくれ」
セザンヌの声が聞こえてきそうです。芸術家はつまり両面があって激しいのよ(笑い)