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セザンヌの手紙

セザンヌの手紙 ジョン・リウォルド編

両親宛(パリ、1874)

 先だってのお手紙によると、あなた方は、僕がエクスに帰らないわけをやっぱりご不審に思っておいでのようですね。前にも申し上げたように、あなた方のお傍で暮らすのはあなた方のご想像も及ばぬくらい本当は僕にとってうれしいことなのです。しかしながら、一旦エクスへ戻ると、もう僕の身は自由ではありません。パリへいきたいと思っても思っても、思うようにはならず、強いて自分の希望を通すとなればまたまたあなた方との不快な争いを覚悟しなければなりません。たとえその場合のあなた方の反対が絶対的なものでないにしても、僕にはあなた方のお気持ちがわかるだけに、あえて我を張ろうとの意気地も挫けてしまうわけなのです。僕の行動の自由が束縛されずに済むことになれば、どんなにうれしいでしょう。そうなれば、僕はあなた方のお膝下へ語希望どうりにいつでも帰ることができるでしょう。
 お父上、どうか月に200フランあてがって下さい。そうしていただければエクスで楽に暮らせますし、従って、僕の絵に豊富な泉を提供してくれる数多の風景を持つ南仏で仕事にいそしむ幸せも得られるわけです。
 右のお願いをどうか聞き入れて下さるように、そして今まで通りの勉強をこの先南仏で続けられますようにと僕がどんなにねがっているかを、呉々もお察し下さい。
 領収証二通同封しておきました。おあらため願います。


註 この手紙は下書だけが発見されたもので、その紙の裏には二人の百姓のスケッチが描かれてある。 手紙の書かれた正確な日付は推定できないが、1872年以後セザンヌが3カ年に亘ってパリ、ポントアーズ、オヴェールの各地に居住していた時期に書かれたものと考えて間違いあるまい。以前には毎年必ず一度は郷里へ帰っていた彼が、この3カ年の間は一度も帰らなかったのである。なお、彼が郷里へ帰ることを条件として月200フランの支給を要求しているのは、自分の留守中の妻子の生活を保障してやろうとの考慮に出たものである。彼は1874年の夏、久しぶりに両親と会っているが、この手紙がそれ以前に書かれたものであることは推察に難くない。

***

このセザンヌの手紙だけを読んでいますと どうだかなぁと結構私も親に甘えたところがあったので 思わないでもないのですが。 
この(註)のところを読みますと 絵を描きに旅をしている間の妻子のために200フランを父上にお願いしたいと書いているんですね。
3カ年ものあいだ家に帰らず 描いていたんですね。 外の景色をしっかり見て描きたい
とセザンヌは言っていましたね。 真剣だったんですね。
 
《 2017.01.14 Sat  _  1ぺーじ 》