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セザンヌの手紙

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セザンヌの手紙

青年期 つづき エミール・ゾラ宛

 数日前から、ひどい雨降りが続いている。ギィユメが土曜の晩當地へやって来、二三日僕の所へ泊っていたが、昨日ー火曜ー貸間を見つけて引移った。部屋代は月50フランで、こじんまりしたなかなか良い家だ。どしゃ降りの雨だが、よい景色なので、早速僕らはちょっとした習作をやってみたよ。ー今に、時がくればきっと彼は本腰に仕事に取りかかるだろう。ー僕のほうはさっぱり駄目だ。為すこともなく意気消沈のていだ。この四五日間、いっぺんも絵筆をとらない。
 こないだ、小品を一つ描きあげたが、これは近頃では一番よいできばえだと自分では認めている。妹のロオズが人形に本を読んで聞かせているところを描いたのだ。たて1メートルほどの絵だ。もしお望みなら君に進呈しよう。
いつか描いたヴァラブレエグの肖像と同じ大きさだ。今度のサロンへこいつを出そうと思っている。

 ところで、僕は考えるが、屋内で、つまりアトリエの中で描かれた絵というものはどれも皆、外光のもとで描かれた絵に到底及ぶものではないということだ。野外の情景を描く際につくづく感じるが、地上にあるものの諸相の対立は驚くべきものだ、風景というものは素晴らしいものだ。実に美事な生命がここそこにひそんでいることに気づくよ。もうこれから僕は、野外の物しか描かぬことにしようと思っている。

***

このゾラへの手紙の前に美術局監督官 ニュウウェ ルケルク宛 パリ、1866年4月19日の手紙の冒頭は 
「拝啓
過日小生は、サロン審査員により却下された作品2点に関して、貴殿に一筆したためました。
 それにつき未だに貴殿より何らのご返答にも接しておりませぬ故、小生は過日貴殿に申し述べたところの意をなお重ねて主張せざるを得ません。しかし、貴殿が確かに小生の手紙を既に受け取っておられる以上再び嘆願の要旨をここに繰り返すには及びますまい。そこでただ一言、小生はどうあっても貴殿の御同僚たる審査員諸氏の不当なる處置に甘んずることはできぬという点だけを新たにいわせていただきます。そもそも小生は、彼らに小生の作品を評価するの任務を小生自ら与えた憶えはないのです。
 なにぶんにも小生の切なる希望の達成にいかばかりかなりとご指示を仰ぎたく、かくは絵を呈するしだいであります。できればひろく与論に訴えてでもかの展覧会の再開を実現致させたく存じます。小生の希望は何穏当を欠く性質の者ではないと思われます。それにもかかわらずもし貴殿ならびにご一同が、小生と同じ境遇にある画家のすべてを無視なさる御所存ならば、彼ら画家もまた審査員諸氏の存在を無視致し、かつ、何等かの手段に訴えて、すべての真摯なる芸術家のために当然解放されねばならぬ展覧会を新たに興そうと努力するであろう、とご返答申すほかありません。」

絵のよしあしは 審査員によってきめられるのは 今も昔も変わらないと思います。
自分の作品に自信を持って出品する画家には 落選は そしてさらにひどい評価を与えて罵倒する審査員に セザンヌはとても傷ついたことでしょう。この話は 読んだことがありますが あんなにして 画家になると決心したわけですから 意気込みはとてもすごかったに違いありません。生きている間に世に認められる画家はほんのひとにぎりです。
青年期の こうした挫折は セザンヌの場合 「自分の信じる所をとにかく描き続けよう」となったのかなぁと。セザンヌは今は歴史に残る画家です。こういうことは言い尽くされている筈です。私はそれでも せっかくいまごろになって セザンヌという人物に興味を持ち始めたのだから 自分でかってに この本から想像してみたいと思います。

青年期のあの詩 妄想ともいえるセザンヌの表現は びっくりしますが それを読むエミール・ゾラがいて成立したのでしょう。審査員にたいして書いた彼の意見は もみつぶされたかもしれないけれども 彼は黙っていられなかったのでしょう。

いやあ文句を言う強さ 画家仲間を思う気持ち セザンヌですよね。
そんな彼が嵐の如くその画家人生を全うするわけですが やっぱり 
やっぱり なんなの? いえね 

またね  




《 2017.01.07 Sat  _  1ぺーじ 》