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いやぁ まいった

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おぼえていることだけ  NEKO美術館発

でね 私の話が途中からなのは とうていはじめからの話を
おぼえていないからです。

「モジリアーニの奥さん 奥さんというには 若すぎて 恋人というには
一歳の子供が 二人の間にはいて 美人というには 深い迫力のある顔をしていて
髪は こんなにあるのかしらというぐらい長くて豊かに見える」
それが一枚の写真の中に 私が読み取れる モジリアーニ夫人ジャンヌのこと。

結核で亡くなったモジリアーニの死後2日後 後追い自殺 2人目を身ごもごったまま。
ジャンヌは子育てがうまくないと 言ってたらしい。
モジリアーニは子供が生まれた時の喜びようったらなかったらしいんだけど。
そうか とうなずいてみる。

で 子供一人は 育っていた。
「あなたのお父さんはモジリアーニでお母さんはジャンヌ(ほんとにこの名前でよかったんだっけ?)」そうなると 彼女は 父と母をたずねる旅に出たくなりますよね。

彼女が出会いたかった人たちのなかにはまだ生きている人もいたみたい。彼女が本を出そうとした頃には。
画商や恋人だった人 モジリアーニにアトリエを世話したり援助していた蒐集家はいたんですね。ところが酒を飲むし 気前はいいし もてるし 妻も子供もいるし。だから生活は苦しかったんでしょうね。 
人に興味があって よく行ったレストランでは いろんな人が来ていて そういう人たちを 描いていたんだって。 お金が払えないと絵をおいていく。 他の画家たちもそういう人いましたね。 描かれた人たちはそのまま その時代の歴史。

人物に興味があったというのは 実は よかったですね。

モジリアーニはピカソのことをえらい尊敬してたらしですよ。

そういうわけで モジリアーニのひとり娘の書いたその本が読みたいな。

時は過ぎ 子供は大人になり エヴィテンヌだ。ジャンヌじゃありませんお母さんは。
なんか あの顔でぴしゃっといわれた気がする(笑い)

二人をしる人たちの再現ストーリー。 いろんなエピソードがあって セザンヌもそうだけど 人って 面白いですね。

ところで 私はね 大きな絵を1989年に数枚描きました たしかに。 2017年ここに出てきたからです。
その絵の入ってた額に夫の作品が入りました。役に立ってよかった。私もそのうちこの切れ端でなんか阿呆なことやってみると思うな。1989年にはこの絵で新しい試みをやってるつもりやったけど なんだかね。 忘れた頃に そうして見てみると 「そこは へたよ」とわかります。

エヴィテンヌ この名前もあぶなっかしいなぁ。海老フライみたいで。
ま いいか。







《 2017.01.19 Thu  _  わたしでいいですか 》