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ピカソとその周辺

ピカソとその周辺 フエルナンド・オリヴィエ著 佐藤義詮訳

画商の繁栄

 絵の価格は日に増し高まって行った。それは画商たちにとっては、またある画家たちにとっても、投機事業になり始めた。すなわちそうした画家たちは競売場で行われる自分の作品の競売には必ず出かけて行き、次第に価格をせり上げて、結局自分の作品の買主になってしまうのだった。画商たちはもう「彼らの若鳥」を手放すことができなくなり、次第に重味の付いて来た画家たちの要求に少しずつ譲歩しなければならなかった。
 彼らの店、彼らのストックは、ピカソ、ドラン、ヴラマンク、ヴァン・ドンゲン、ブラックの作品で一杯になったが、彼らは好機を待っていて、それらの作品を徐々にしか譲らなかった。
 サゴーは、彼が昔買った作品から思いがけない収益を上げ始めた頃死んだから、こうした楽しみを味わうことができなかったが、ヴォラール、ドリュエ、ベルンハイム、ヘッセルは、何もこぼすにはあたらないはずだ。どんな価格で、これらの芸術家の最も美しい作品の大部分を彼らが手に入れたか、私は知っている。
 ヴォラールはゴーガン、ファン・ゴッホを、その後セザンヌ、ルノワールを、更に、それほど高値にならなかった他の画家たちの作品を買ったのだった。しかし、ある日ファン・ゴッホの作品を危ぶんだヴォラールは、当時ボーヴォー広場に店を持っていたドリュエに、かなり安い値で譲った。ドリュエは芸術写真家として画壇に売出し、今日では最も著名な絵画の非常に美しい複製を作ることに成功したのだった。彼は初め葡萄酒商人だったことは周知の通りである。
 ファン・ゴッホを掘り出した彼の眼に狂いはなかった。そして彼の運はその作品とともに開け始めた。彼はそれらを、当時としては嘘のような価格で転売した。
 これは、絵の取引に大変役に立つあの「勘」の良い例だった。当時の画商たちは画家たちを大いに利用していたので、画家たちも「成功した」と自覚すると、たとえばドランやピカソのように、まだ契約を結んでいなかった連中は相当な収入を得た。

***

ピカソを始め画家たちが「成功した」と自覚するようになったいきさつや 画商が「この画家はいける」と目を付けたりするときのことが いきいきとえがかれていますね。
画商たちは まだ買えるうちに 画家たちの作品を手に入れ 高く売る。
ピカソやドランは画商とまだ契約を結んでいなかったと言うのも これは頭がいいですね。
ヴァン・ゴッホの作品に目を付けた葡萄商人だったドリュエもなかなかやりましたね。
ピカソの時代ですから ゴッホはそれよりも昔の人です。1853−1890ですね。
ピカソは1881−ええっとわたしのいま持ってる画集では生存中。

生前に 作品がピカソのように売れた画家は あの当時どのくらいいたのでしょうね。

うまく生きられなかった画家たちもいたでしょうし 積極的に道を切開いて行った画家たちもいたでしょう。

今でも私たちの目を楽しませ 感動させてくれるこうした画家たち その時代に行ってみると いろんなことがわかり 想像もふくらみますね。


《 2016.12.23 Fri  _  1ぺーじ 》