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蓮以子 80歳

「蓮以子 80歳」 北林谷栄 新樹社 1993

開頭手術からの生還 つづきです

 もう一つのマッスル・トレーニングこそいまいち失礼なトレーニングだ。
 子どもが海で遊ぶ直径一メートルほどの大きなゴムボールを目の高さにかかげて歩けという。
 そいつが真赤と青のゴムボールときてるから、とんとイルカの芸当だ。
 これはやや高度なトレーニングで躰のバランスをとるための練習なのだが、イルカということばもオットセイということばも出てこない。そのうち赤いボールを頭の高さにかかげたまま腰をぬかしてしまったので屈辱感が極まった。「もう絶対にやらない。死ぬことのほうを私は望んでいる」とテコでも動かないでジュディとにらめっこをつづけた。しばし、聖ジュディも夜叉のような顔で私を睨んでいたが、ドクター・タナベに言いつけに行ったらしい。タナベさんはランチタイムの食堂からとんできて下さった。
「貴方は手術に成功したんですよ。死にたいなどと言ってはいけません。もうすぐ日本に帰ることができるんです。さあ、マッスル・トレーニングをして下さい。さあ、貴女の思うことを私に言いなさい」彼の言葉のあいだに腕の赤玉をジュディが静かに片づけてくれた。
 私は頭のなかでコトバを組み立てながら答えるー「フランクに言いますと、私は臆病な人間なんです。御存知でしょうが78歳です。これまでもトラブルに出あうと何時もそれから避けて通って来ました。このたびの場合も私は死のほうを選びたいのです。それが私の考えです。それだけです」
 私が包みかくさずこう言うと、ドクター・タナベは、「オー、ノウ」と首を振って出て行った。きっとランチを食べに行かないと食べはぐれてしまうのだろうと私は思い(ヤだけどやっぱりマッスル・トレーニングをもう少し続けようかナ)と考えなおすことにした。
 日系三世のドクター・タナベは、セントラル・オレゴンの病院では非常にナースたちの尊敬を受けている優秀なドクターだった。いきなりヘリコプターでかつぎこまれた急患の私は、偶然にも脳外科手術の名手とされているこのタナベさんの執刀を受ける順番にめぐりあったものらしい。脳外科では最高の技術に達しているといわれているアメリカに来て倒れたのも間拍子が良かったのだが、ドクター・タナベに出会ったことはたくさんのナースたちがみんな幸運をよろこんでくれたことで有難味が増すいっぽうなのだった。ズバリ運が良かったらしい。

***

「ここのところは このままでいきましょう」私はまるで映画監督のようですが そう思います。書いてあること自体が 「幸運に恵まれた人」というタイトルをつけたいくらいなもんです。しかしそれでもなお マッスル・トレーニングは大変だったんでしょうね。

思うんですが 命が危ない時 自分はさて 幸運に恵まれるのか どうなんだろうなぁ それに幸運とはいったいどういうもんなんだろうなぁ などと ぽつりと考えてみるのでした。

もう一度読み返してみますと 「フランクに言いますと、私は臆病な人間なんです。御存知でしょうが78歳です。これまでもトラブルに出会うと何時もそれから避けて通ってきました。このたびの場合も私は死のほうを選びたいのです。それが私の考えです。それだけです」

ドクター・タナベにそういってのけた北林さんですが しかしなかながら 臆病というより なかなか勇気のある人だなぁ などと私は感心してしまいました。いくら助かったとはいえ 私だって そう 「このトレーニングは78歳の私にはムリですわ とか言ってしまいたいかもしれません。でも言えないだろうなぁ。

さてこのつづきはいづれまた。 このいずれまたが くせもので みなさん気持ちよく覚えていられないくらい 間が空いていますよね。 おそれいります

さいならさいなら

《 2016.11.17 Thu  _  1ぺーじ 》