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蓮以子 80歳

「蓮以子 80歳」北林谷栄 1993 新樹社

開頭手術からの生還

 タバァタの説明によるものと、私自身の感覚とは差がありすぎる。せいぜい今記憶していることといえば、アメリカという国とわが日本との医療の場における態度のちがいである。人間をどうみているかの違いである。
 麻酔からはじめて意識が戻ったとき、目の前で私をみつめているおだやかな顔があった。
アメリカ人の顔ではない。地味な東洋的な扁平な顔であった。
「私はドクター・タナベです。私が貴方の手術をしました。精密検査もすっかり済んでいます。今後の貴方にはどのようなリスクもないだろうと思っていいですよ。貴方はここにいる誰よりも安全だということができます。我々はまだ貴方ほど完全な検査を受けていません。だから貴方がいちばん安全なのです。いまの貴方にいちばん必要なのはマッスル・トレーニングです。ナースが貴方を助けてくれるでしょう」
 日本人の農民や小商人の人たちのなかによく見かけられるようなありふれた地味な顔のドクター・タナベは、ゆっくりとわかりやすい英語で話してから微笑を残して私の視界から顔をうしろに引いた。入れちがいに美しい中年のナースが顔を出してきて「ドクター・タナベの話がわかりましたか」ときいてくれた。この美しい人は胸に聖ジュディという名札をつけている。「セイント・ジュディさん」と思わず言ってしまうと「ジュディだけでいいですよ」と笑うのだった。

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《 2016.10.30 Sun  _  1ぺーじ 》