「物語の余白」エンデが最後に話したこと ミヒャエル・エンデ 田村都志夫 聞き手
訳 2009 岩波書店
ーエンデさんが目が覚めたとき、まだ、どんな夢を見たか覚えていらっしゃいますか?
エンデ 最近はあまり覚えていませんが、もうあまり.....。でも一時間は習慣づけていたこともあるのですよ。ベッドの横にメモ帖を置いて、夢を見たあとはいつも.....、これはそういう訓練をちょっとしなければなりませんが。目が覚めると、少なくとも二、三のキーワードを書きつけました。そしてそのキーワードから翌朝夢を再構成したんです。キーワードを三つなら三つ読むと、また思い出した。夢日記といえるものをつけていたわけで、何百という数の夢を書き記しました。訓練できるのです。夢との関係を断ち切ってしまわない、ということです。
そのあと、いつかほかのことのほうが興味をそそるようになって、やめてしまいました。そうすると夢もまた、無意識のなかに消えていくようになるんですね。しかし、翌朝思い出したかぎりでは、どれもどこか隠喩的な夢でした。いつも夢見るのは、不思議な形象のものや、奇妙な出会い、不思議な旅といったものです。この頃はよく、他の惑星へ旅することを夢見ます。
ーマックス・ムト、夢の世界の旅人(『自由の牢獄』所収)のようですね?
エンデ ええ、本当にその通りですね。まったく驚歎するような話でね。どこか一種の中央駅のようなところにわたしが立っているのです。でも、ずっと遠く離れた....。
ー「駅」という世界も、エンデさんにとって一種のキーワードですね。
エンデ 駅と祭りの市がそう言えるかな。つまりずいぶん大勢の人がいて、とても豊かな.....、近頃見る夢は、人で一杯なんです。翌朝目を覚まして、疲れ切っていることもあるほどです。あまりに大勢の人たちがまたわたしの夢のなかを歩きまわったために。ですから、わたしがまだ若かったころ、子どものころに夢見たように、もう一度夢見たいな、と思うことが時々あります。まだ見渡すかぎりの景色が、わたし一人のためにあったころの夢。
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夢の話は 面白そうなので読んでみます。
エンデは夢の世界にリアルに出会っていたんですね。
全く驚歎するような話でね。どこか一種の中央駅のようなところにわたしが立っているのです。こんな風な話を聞いてると 自分もそういうことがあったような気になります。
「駅と祭りの市」大勢の歩きまわる人たち。
みなさんは どんな夢の記憶がありますか?
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さてわたしの写真は「からっぽのUFO」
まあ ふくろの「もちて」ではありますが 夢はかすかに雲ってはいませんか?