「ピカソとその周辺」フエルナンド・オリヴィエ著 佐藤義詮訳 1964 昭森社
ラパン・ア・ジル
パリーに立ち寄るすべての外国人旅行者たちは、古風な丘の街々を遠慮会釈もなくかけ回る乗合自動車から束になって吐き出されて、そこを練り歩くのである。彼らは無表情な顔付きで、確かに呼吸が良くできるように口をあけたまま、函詰めの鰊(にしん)のようにぎっしりと詰めこまれていたのである。音符を読むことも知らなかったフレデやその息子が、全く独特なひき方で奏でるギターやヴィオロンセロに聞きほれてか、彼らはそこにじっと座っているのだ。しかし家は古臭く、悪い噂がある。昔そこで人殺しがあった。フレデの息子の一人が彼の旧友だという噂の無頼漢の仲間に殺されたのは、まだそう古いことではない。食卓は汚れて、コップは曇っており、給仕たちは暗赤色のシャツを着ている。それでも心の底から感嘆し、何も見ず、何も解らず、桜桃入りの怪しげな酒も飲まずに窒息しただけで満足して、案内者に連れられておとなしくその後について出て行く客たちには、これで充分なのだ。それだけこの店の儲けにもなるのである。しかし、、これは今日の「ラパン」のことである。私はもっと楽しい思い出のある昨日のラパンに話を戻そう。
さて、既に遠いあの昔のあの頃は、そこには芸術家と画家たちだけしか来なかったものだ!ピカソ、ブラック、ドラン、アルフレッド・ロンバール、ジリュウ、時々丘の上のある友人に会いにきたマチス、ムーラン・ド・ガレットの手のすいた時にヴァン・ドンゲン。素描家のファルケ、ドゥパキ、プルボ、ソヴェイル、南仏弁で私たちを面白がらせたガシェ。ガブリエル・ファブルも含めて、彫刻家や音楽家たち。俳優のオラン・ボール、自分も倦ず(あきず)人も倦させずに、ロンサールやヴィヨンを語ったジュラン。作家のカルコ、元気で陽気なドルジュレス・マリオ・ムーニエ、フォショワ、ジャン・ペルラン、向い側に住んでいたサルモン・フレデの女婿になったマック・オルラン、マックス・ジャコブ、アポリネール。これら未来の巨星たちには狭すぎたが、フレデの猿が自由に跳び回っていた老木の陰になっていた気持ちのよいテラスに、みんなが集まったものだ。
冬にも私たちは時々そこへ行ったが、いつもあの暗い部屋に閉じ籠っていた。そこのワスレが創った石膏のキリスト像が、この若い近代的無頼漢の集りを守るような慈愛の目で眺めているようだった。
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ピカソとその仲間たちの名前を打ち込むだけでも大変(笑い)。
ラパン・ア・ジルでの思い出は この仲間たちがやがて巨星になる前の仲間たちであり、そんな時期は きっとピカソたちのその後ももうなかったんじゃないでしょうかね。 このような気のおけない近代的無頼漢の集まりのなかにいた芸術家と画家のことをオリヴィエはこのように表現したのですね。
ピカソはその後多くの女性といっしょになり いろんなことがありましたが 時は過ぎてゆくといいますか この本はピカソの一時期であり 楽しい懐かしい時期だったでしょうし オリヴィエにとっても そうでしょうね。まだもうすこし1ページは続きます
今日は さいならさいなら