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ピカソとその周辺

「ピカソとその周辺」 フエルナンド・オリヴィエ 佐藤義詮訳

 ラパン・ア・ジル

 夏の間、私たちはしばしば、夕方、夕食をすますと、ラパン・ア・ジルへ宵を過ごしに行ったものだ。その頃そこはまだ今日のように時流を追う人々の集まるいやらしい店ではなかったし、主人のフレデは芸術家たちの親友のようだった。
 私が「ようだった」と言ったのは、その後彼は芸術家たちを「望ましくない客」と思ってほとんど彼らの敵になったからである。彼は「成功した」芸術家たちや有名人だけを歓迎し、戦争後は、団体でやって来るアメリカ人や北欧人たちのために、席を取って置きたがっている。
 客の大部分は、一語もフランス語が解らないが、夏には火消壺のような息苦しい部屋に変じ、朦々たる煙ですぐ隣の人さえしばしば見分け難く、芸術家たちの声がこの煙霧の間を通りかねて、鈍く聞こえて来るような部屋に、八十人収容するように造られているが、時には百五十人以上もつめ込んだ部屋にじっと座っているのである。昔は静かだったサン・ヴァンサンやデ・ソールの愛すべき小路を登って来る自動車の騒音に歌声がたちまち掻き消されてしまうので、窓を開けることもできない。
 時にはまた歌手たちは近代的設備のまだ整っていない家々の前に長い間留って、悪臭を放ちながら、シュウシュウ、ガタガタやっているリシェー組の機械の音に伴奏されることもある。

***

ラパン・ア・ジル この宵を過ごしに行った芸術家たちのたまり場も そのうち有名人や成功した芸術家たちだけを受け入れるようになるんですね。
戦争後というのは第二次世界大戦後でしょう? アメリカ人や北欧人のために店主は席をとっておきたがるようになるわけですね。人が変わってしまったかのように。
パリも変わっていったのですね。古き良きなんとかといいますが。
時代は新しくなり 戦争も終わったのに これはどうしたことでしょうね。

さいならさいなら
《 2016.09.27 Tue  _  1ぺーじ 》