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蓮以子 80歳

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蓮以子 80歳 北林谷栄 新樹社 1993

自画像 つづきです

 俳優になってからの私に、サカ立ちしても描けないのは、人生の辛ラツさである。油断やスキのない、辛い人間が私には描けない。描く力がないのだ。
 では、私は、ひとくちにいうお人好しなのだろうか。
 もう三十をすぎてからのことだが、私の三つになる娘が火傷で死んだ。わたしがロケーションに信州に行っている留守中の出来ごとだった。
 朝早く、宿屋でメーキャップをしていたとき、夫と夫の弟が蒼ざめた顔で突然現われ、突然それの死を私に告げた。私は三歳の娘の煮え湯で焼け爛れたというその姿を考えたとき、狂ったと思った。まさに自分は、狂ったと思いながら、同時に私のしたことは鏡のなかの自分の顔をたしかめることだった。こんなとき、人はどういう顔になっているのか、というようなハッキリした意識はないにしろ、とにかく私は自分のそのときの顔というものを本能的にたしかめようとした。
 俳優というものは鬼のようなものだと、私は思わずにはいられない。

***

子どもを持っていちばん辛いことの一つを 彼女は体験していたのだと。
私は彼女に子どもがいるということは知らなかった。それほどおばあさんの役に目がいってたということだろうか。私は週刊誌を若い頃から立ち読みしたり 仕事先の寮の片隅にほってあるのを 5階の自分の部屋に持ち込んで読むのが大好きだった。だからけっこう俳優のことはよく読んでいた。
子どもを持って知ったことは 子どもが無事にそだってくれること。それも小さな子供を見ていると そう思わずにはいられない。

「狂ったと思いながら、同時に私のしたことは鏡のなかの自分の顔をたしかめることだった。こんなとき、人はどういう顔になっているか、というようなハッキリした意識はないにしろ、とにかく私は自分のその時の顔というものを本能的にたしかめようとした。俳優というものは鬼のようなものだと、私は思わずにはいられない。」

俳優の業 ですか。
画家の熊谷守一が子どもの死んだときに おもわずその顔ををスケッチしている自分につくずくいやけがさして 途中でやめたみたいなことが書いてあったと思います。
画家の業ですか。
彼女は鏡の前で そのときの自分の顔をたしかめてみる そのことは鬼のするようなことだと書いています。

私が母の病院の付き添いで スケッチブックを抱えて こんこんとねむったり うわごとをいう母の表情をおっかけたことも そのひとつでしょうか。
かぜをひいてぐったりしている子どもの表情をかいたこともあって 「そんなとこようかくなぁ」と画廊で言われたこともあります。そんなときは蓮以子がいうように 本能的ななにかなのでしょうか。

彼女が小さな娘を持つ母親役ではなくおばあさんの役をしていたのは(すべて知っているわけではないのですが)このことと関係があるのかと いやこんな俳優だものそううことではないと ゆれうごきました。


NEKO美術館です。
これは十代の時にみた夢の一つです。私はこの石で作られたかのような少女の像が 美しい湖とともにコワイと思ったのです。それはいまだに解決されていませんが。透明感のあるどこか冷たい空気のなかにこの光景はあるのでした。

さいならさいなら
《 2016.09.10 Sat  _  , 1ぺーじ 》