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ミヒャエル・エンデ

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「ものがたりの余白」エンデが最後に話したこと エンデ 田村都志夫(聞き手)
2009 岩波文庫

ー人間の生において、行われることには、時を超えた「実体」のようなものはないのでしょうねえ.....。

エンデ つまり、そこで感じるのは、すべては心ならずも起きる遊びだということです。
この遊びは絶え間なく人間を巻き込む。ただ、これはのぞまずしての遊びだから、人はいやいやそれをする。自由意志で遊ぶのなら、それを通じて、軽快さがそこに与えられるのだけれど。
 こう話すと、わたしはまた倫理めいたことを言っているように聞こえるかもしれませんが、そうではないのです。

ー枠をもう少し広げてみて、人間の人生というものも、また遊びなのでしょうか?
そう言ってもよいでしょうか?

エンデ ええ、そう言えるでしょう。遊びを、なにかふまじめなことととらなければ、人の人生も遊びだと言えます。
 しかし、ここでいつも考えなければならないのは、ーこれはドイツ語だけだと思いますが、「遊び」と「真剣」は反意語です。それで、ドイツ語では、なにかが「遊び」だというと、「それは真剣ではない」ことになる。まるで、株式取引所で何億という金を自由に遊ばせる株ブローカーたちは、真剣ではなく、彼らが行うことで、ほかの人たちにとって苦いシリアスな結果をもたらすことがないかのようだ。
 しかし、それはゲーム遊びなんです。わたしたちの(現代の)貨幣システムは「遊び」です。わたしたちの政治システム全体は、巨大なゲーム遊びです。よくみてみれば、どの形式の社会も「ゲーム」や「遊び」であって、そのルールをまず習わなくてはならないものですね。 しかし、さきほども言いましたが、だからといって、この遊びは極めて真剣に行えないものだというのではありません。それどころか、わたしは、聖なる「遊び」というものさえあると思っています。

***

ここのところでは ードイツ語だけだと思いますが、「遊び」と「真剣」は反意語ですーとエンデは言っていますね。

言葉では わたしは 正確なことは知りませんが 日本でも「遊び」は「真剣」ではないととられがちです。
私自身 「真面目に遊んでるねん」と言ったりしますが この本を読んで 「そうなんや」と思いました。
「人生も遊びだと言えます」
エンデの言葉は ほんとうによかった。でもそれだけではない「貨幣システムだって遊び」なのですね。
「わたしたちの政治システム全体は、巨大なゲーム遊びです」
ほーそうなんだ。
ーよくみてみれば、どの形式の社会も「ゲーム」や「遊び」であって、そのルールをまず習わなくてはならないものですね。ー
「だからといって、この遊びはきわめて真剣におこなえないものだというのではありません。それどころか、わたしは、聖なる「遊び」というものさえあると思っています」

わたしは ー「playing  room」というふうにして 大人のくせに真剣に遊んでいるんですーと言いましたが
実は エンデによるとそれは一部分にすぎないということなんですね。
 エンデの言っていることは 面白い事かもしれません。

さて上のコラボレーション「遊び」は わたしのしわざです。エンデのところにおじゃまするなんて すんません。でも続けると思うな(笑)

さいならさいなら



《 2016.07.21 Thu  _  1ぺーじ 》