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ゴーギャン

印象派時代 福島繁太郎著 昭和18年 光文社 続きです。

ゴーギャン

 絶海の孤島にあっても金がなければ極楽ではない。ゴーギャンは貧乏に常に悩まねばならなかった。しかも貴族的で正義感の強かった彼は、植民地にありがちな白人の横暴と狡猾には極度に反感をもった。従って白人からは裏切者として白眼視されたから、生活は決して愉快なものではなかった。
 しかし創作欲はいささかも衰えなかった。絵画のみならず彫刻、版画に夥しい作品を制作した。
「我等は何より来るか、我は何か、我等は何処に行くか」は1898年の制作にかかり、この時代の代表作の一つである。高さ七十サンチ(?)長さ四メートル半の大作で、極めて象徴的な装飾画である。ゴーギャンが装飾画家として当時の第一人者であることを雄弁に証明した作品である。彼の境遇では大建築物を装飾することは許されなかったが、その素質に於いてシャバンヌを凌ぐものがあったと思う。
 この絵はアムボアーズ・ヴォラールが買った。ヴォラールとの取引がはじまってから、ゴーギャンの経済状態はいくらか改善された。

***

「我等は何より来るか、我は何か、我等は何処に行くか」
この絵はヴォラールが買ったんですね。そしてそれからだれの持ち物になって行ったんでしょう。そんな流れをたどってみるのも興味深いかもしれませんね。戦争で作品は いろんな経験をしているかもしれません。この絵はしかし残った。残ってほしい作品だと思いませんか。

ゴーギャンのこの絵のタイトル だいたいわかるけども、しっかり読んでみたことがない
私でした。まんなかの「我は何か」を中心にして両方に「我等は何より来るか」「我等は何処に行くか」とあります。みんな よく読むと少し違っている。それでもって共通項は「すべてわからない」

このタイトルは 何度でも ゆっくりと なにかあるごとに 想ってみたいような気がしました。
「ふんふん そういうことなんだね」とこの本では私は考えなかったのです。どうしてでしょうね。

ポンペイとか古代遺跡から出てくる横に長い絵のことを思いながら ゴーギャンの絵をそうした装飾画としてみる これは前にも言ったと思いますが 装飾画のイメージがぐんと高くなったような気がします。ポンペイの壁画には当時の生活が描いてあります。この絵を見れば その時代のことがわかるのです。
ゴーギャンのこの壁画には我々の根源的でしかも知らないことがその原住民のいとなみを順番に描いた絵を見続けて行くことで 死後のわからない世界まで自然にわかるようになってくるから不思議です。

別の所ではこういう書き方をしているのもあります
「我々は何処から来たのか? 我々は何者なのか? 我々はどこに行くのか?」

私は 福島さんが書いているほうが いいなぁ

さいならさいなら 

《 2016.06.25 Sat  _  1ぺーじ 》