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ヨーロッパからの手紙

フーフー通信 ヨーロッパからの手紙 夫 1985

 スペインのマドリッドからのたよりを送ります。
 結局、相棒のUさんとはここで別れることになりました。僕の足の痛みが、Uさんにも負担になってきたからです。ポルトガルのナザレで十日間も休養をとったにもかかわらず、少し歩きだすと痛みがやっぱり出てきて、二人で歩いていると、一層僕の気持ちも、うっとうしく、また情けなくなってしまいます。
 マドリッドのホテルで一緒に二泊した朝、Uさんは、北アフリカのモロッコに向かいました。僕はしばらく、マドリッドの現在のホテルで滞在するつもりです。
 このホテル、ここに来て知ったことですが、滞在客はすべて日本人ばかりなのです。聞くところに寄ると、二十年来そうだというのです。六十歳くらいのおばあさんが主で、その妹さんと二人してやっています。また、ここではじめて知ったことのもうひとつは、日本の若い人たちがずいぶんたくさん、貧乏旅行をしているんだなぁ、と驚いたことです。日本にいると、僕のまわりにはこうした若い人たちの海外旅行経験者もいなかったこともあり、おかしなことですが、外国の地で、僕より二十歳、十五歳と年下の日本の若者と交流を深めているのです。
 今日は、こうした若い人たちのいく人かのことを書いてみましょう。
 まずこのホテルで一年近くも滞在している細川くん。
 彼は島根県生まれで今二十四歳ですが、プロのサッカー選手になるのが夢。スポーツのことは全くの無知な僕は、日本ではプロのサッカー選手がいないということもはじめて知ったことですが、彼はこの一年近くサッカーの試合を観戦したり、またジムに通って体力作りをしているそうですが、当面の目標はチームに入れてもらえる状況をつくること。大変ひょうきんで、面白い会話をする人ですが、時々、すごく真面目な面も見せ、好感のもてる人です。彼は、日本を出て以来、観光の旅は一度もしていないということで、とにかくサッカー一筋です。
 それから小川くん。彼も細川くんと同じ年格好ですが、絵を描きます。もっとも去年の暮れに日本を発ってからはまだこちらで絵を描いてはおらず、近日中に、細川くんと共同でピサ(アパート)を借りて、二年ほどこのマドリッドで制作に励むという予定。この小川くんは、かってゴッホがパリからアルルまで歩いた道を一週間程かかって歩き、フランスからスペインへの入国はヒッチハイクで入ったということです。いつも、薄汚れたブレザーを着込み、素足の足にドタ靴姿なのですが、このブレザーはのみの市で二十円で買い、靴下は日本から持ってきたのがみんな破れて使い物にならなくなったとのこと。そしてブレザーの下のシャツも今はネズミ色に見えるが、かってはブルーであったといいます。とにかく着のみ着のままでこの半年間暮らしているのです。絵のことはもちろん、なかなか知識も深そうで、頭の回転の早い青年です。
話はわきにそれますが、プラド美術館にあるゴヤの「裸のマハ」を見た時、僕は、この裸の女性とゴヤとは関係があったな、と思ったのです。裸体をまるごと画家の前にさらした
女の不遜ともいえる顔つき、その表現は、単なる画家とモデルの関係だけでは描けないものだと思ってしまったのですが、このことを小川くんに話したら、ゴヤを最も好きだという彼は、その通りだと教えてくれました。ゴヤについての評伝を読んだことのない僕の直感が当たったわけですが、この絵はくだらなく、この絵の場合、背景の描き方がいいのだと小川くんはいったのでしたが、僕はそこまで見ていませんでした。ふーんと思った次第です。

***

スペインですね。マドリッドのホテルで 日本人ばかりの滞在客のところで 若者たちと
話し込んでいますね。夫は今もそうですが 他人の今の生活状況から 昔のこといろいろ聞くのが好きですね。
1985年頃は わたしも小さい子供の子育てが忙しく ゆっくりこういう話を聞いていなかったのか 今こうして読んでみると面白いですね。
海外にいる旅行者は ここで夫が聞いている限りでは サッカーの選手になりたいとか
画家になりたいとか 部屋を今でいうシェアしようとしたり 着るものも変色する位着ていたりと なかなか個性的ですね。日本でもそういう若者はいるんでしょうが こうしてマドリッドの宿で だから そんな話を聞ける空気感があるのかも。

「裸のマハ」ゴヤの作ですが 男同士こういう話をしていたんですね。画家とモデルとの関係はよくいわれていることですが 小川くんの確信を持った言い方はどう?

つづきはいずれまた
《 2016.05.22 Sun  _  思い出 》