who am ?I

PAGE TOP

  • 04
  • 29

父に拘る思い出

スキャン2141.jpeg
わたしの父のお葬式の日は1979年3月15日だった

前野のおばあちゃんは 父の母親の末の妹。山崎というところからバスで1時間半のところに住んでいる。祖母は1945年になくなっているから だいぶんのおばあちゃん。
陽気でプロレスできゃあきゃあ喜ぶような陽気なおばあちゃんらしい。
ほんの子供の時 母につれられて 前野家に何度か行っている。酒屋をしていて 郵便局もやっていた。その土地の名士なんだろうと思う。おじいちゃんは ブラジルで牧場をしていたと聞いている。ひげのあるかっこいいおじいさんで ちょっと近寄り難かったことをおぼえている。
あさごはんのとき わたしはどういうわけか ごはんをぽろぽろこぼしてしまった。肉は犬がそばでほしそうにしていたので やった。いっしょにいたこどもたちは みんなしっかりしていたように思う。 「おい ここにごはんをこぼしたのはだれだ」とおじいちゃんに言われても「はいわたしです」と言えなかった。そのぐずぐずが心残りだ。

そうそう父のお葬式の日には 大きなお腹をして父の側にすわっていた。泣いているうちに 父がかすかにわたしのほうを向いてるように見えたこと。きっと父は私を見てると思おうとした。しかし3月はまだまだ寒い 顔はまたたくまにつめたく 死んだ人になって行った。

前野のおばあちゃんはおじいちゃんご自慢の旦那さんだった。
「こんなぶさいくなわたしをもろてくれてありがたっかった」と笑った。顔のどこにあったのか大きなほくろが いっしょになってゆれる。可愛いおばあさんのように見えた。
わたしのおじいちゃんは 1945年に亡くなっているから知らないのだけど つるんとしたおひなさんのような人だったらしい。背は低かったらしい。父も低かった。おばあちゃんと恋愛結婚。やるではないですか。

父は10年ぶりにやっとできた一人息子。大事に育てられたらしい。

前野のおばあちゃんは父のことを「かーちゃん」と呼ぶ。父は最後は前野家に近い山崎の病院で亡くなった。
おばあちゃんは「かーちゃん かわいそうで よお見んわ」といっていたらしい。父の母も同じ病気で亡くなっている。やせ細った父は長くなかった。

前野のおばあちゃんはうなぎのねどこのような通路をいくと そこにいた。そこが定番の場所であるかのように。 そして「ごはんたべていきな」と父にも私たち母子にもそう言った。

こどものわたしにとって 山崎はえらい都会だった。バスにもよった。
それでも そこのお姉ちゃんの人形をいくつかもらって それで何日も夢中になった。
父はおじいちゃんのライフ(アメリカの有名な雑誌)をいっぱいもらってきていた。
それを見たわたしは アメリカは人も家もなにもかも破格だと 心底驚いたし 面白かった. 

少しずつ縁のある人たちが消えていった。
それでもわたしは こういう人たちの思い出を
ただ かかえている。
《 2016.04.29 Fri  _  思い出 》