世界の美術 「ピカソ」1963 河出書房
おわりに 植村鷹千代
ピカソ以後といわれる今日の美術はさらに分裂的な展開を示しているが、本質的には、写実と抽象と超現実主義との三つのヴィジョンが複雑に絡み合っていることがわかる。これはピカソ芸術の足跡にすべてつながるものであって、現代は「わたしの芸術の破壊の総計である」というピカソの根本精神をひきついでいることが理解される。
ただピカソの場合は、一人でこの総計を実現したところに、芸術は単なる分業ではないという根本的に大切な命題を、われわれのこころに目覚めさせる貴重な力をもっている。なぜなら、キュビズムの創造を通じて形体の発見に夢中になったピカソの精神が、愛人を得たとき突如として愛情を表現する典雅で精密な古典的写実となったかとおもうと、<ゲルニカ>のように、直接に社会や政治との闘争の武器という性格となって爆発しているからである。もし芸術が分業であるならばこうしたことは起こりえないし、許されないことである。アカデミスムというもののおそろしさと罪は、写実にしても抽象にしても、芸術を分業主義に迷い込ませることにある。
だから、ピカソ芸術は、20世紀の現実の優れた鏡ではあるが、ただ鏡であるだけではなく、ピカソの中に住む人間性と現実との、妥協のないたたかいの記録であったという点に、とくに注目しなければならないのである。
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今日の芸術はピカソよりはじまってるんですか?
いまは2016年です。 そしてこれが書かれた頃は1963年 ピカソはまだ生きていたはずですよね。
アカデミズムのおそろしさと罪は、写実にしても抽象にしても、芸術を分業主義に迷い込ませることである?
どういうことだろう。人間は表現を分けてかんがえるような単純な存在じゃないってことかな。戦争で腹が立てば そこを描く。女が出来れば絵もかわる。一定のスタイルなんて不自然そういうことかな。
そうそうスタイルにこだわるのは よくあるはなしだけど 生きている上でのそのときどきが現れて そのひとが芸術にかかわった一生ってこと?
わたしのなかにも育ってました。えっ ただし たよりないミクロの世界? それがいいんじゃ無い(笑)。
さいならさいなら