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ピカソ

世界の美術「ピカソ」1963 河出書房

続きです。

 ただこの戦後の波の静かな時期にあって、突如としてピカソの怒りがまたしても現れたのが、朝鮮戦争をテーマとして制作され、サロン・ド・メに出品された<殺戮>(1951年)と、<戦争と平和>(1953年、ローマ個展出品)である。これは戦争と平和の2部にわかれた壁画形式の大作で、<ゲルニカ>とちがって、ずっと写実的な画風の強まった作品であるが、ピカソのヒューマニズム精神の健在ぶりを発揮した動きであった。それから以後は、今日までそうした爆発は現れていない。
 最後に、コミュニストとしてのピカソに触れてみたい。彼が1944年、終戦と同時に共産党に入党したときは世界を驚かせたものであるが、今日の常識で考えると、芸術家が共産党に入るということは、ピカソのキュビスムを今日理解する以上に解り難いことではないだろう。わざわざ問題にするには及ぶまい。ピカソが共産党員であろうとなかろうと、彼がきわめて偉れたヒューマニストであることは、その作品の歴史が雄弁に語っているからである。

***

ピカソのことも もうすぐおしまいです。
ちょっと 学校でおそわってるみたいで むずかしかったです。
でも 十代のときに手にしたピカソのこの画集ですからね がんばって読んでみました。
共産党に入った ピカソ 戦後のピカソは 今日の常識で考えるとそんなに解り難いことではないだろう とかいてありますね。キュビスムより簡単なんですか?
そうかもしれませんね。
わたしは やはりこの芸術家が 世界に大きく目を開いて 描き続けたということは 66歳のわたしは 女の件もありますが やっぱりすごいかな。
でも「わたしの解釈のピカソ」のおかげで 絵をかいたりほかに移行したり 何でもやってみましたし それについて 気にやむことはほとんどありませんでした。
ピカソの「変化こそいいのよ」 ん・・・しかし どうも 勉強不足でしたが(笑)

さいならさいなら  
《 2016.04.20 Wed  _  1ぺーじ 》