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ピカソ

世界の美術「ピカソ」

第二次世界大戦以後 植村鷹千代の続きです。

 戦後ピカソは、1946年、南仏アンティーブに移住する。新しい夫人フランソワーズを伴って平和な田園生活に転じたピカソは、またその芸術上の画風も変貌する。<アンティーブ時代>と呼ばれ、家庭的平和と自然の共鳴を描く、明るくて写実的な画風が再び現れ、息子ポールをモティーフにした楽しい画面が目立ってくる。ピカソらしい素直さであるが、写実のなかにもピカソの線やフォルムのもつ特色はむろん出ている。ともかく平和で静かな、ピカソ芸術の歴史のうえではもっとも波のない時代である。
 そのかわり、ヴァロリスの陶器工場に関心をもって、陶器の創作に熱が入ったり、各種の版画制作が盛んになって、リノリウム版の大型で色彩の鮮かな版画作品が制作されだしたり、奇妙な造型作品を制作したり、光画を試みたり、南仏の太陽の下で、裸のピカソが張り切る姿が時おり写真や雑誌で見られるようになったのはこの頃である。
またアンティーブ博物館に<生きる歓び>を制作したのもこの時代だし、『ヴェルヴ』誌が特集画集として刊行した180枚の素描も、1953年から54年にかけてのヴァロリスでの作品である。ゴヤの人間百態を描いた素描に匹敵する多様さと自在さで、書道的な線描もあり、大変おもしろい。そしてこれらの陶器や版画や光画は日本にも招来されて、われわれの目にもふれている。

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ピカソは戦後フランソワーズという若い夫人とともに 息子や娘も生まれて楽しい家庭的平和を描いているんですね。南仏の明るい太陽の下で。
植村さんは その時代は「ピカソらしい素直さ」で描いている と。 ピカソは本当にそのときの自分に素直であり それが絵に現れるんですね。
それはまたピカソにかかわった女性にしたら 非常につらいことだったんじゃないでしょうか。 作品はのこり 人生は過ぎて行った なんてね。

十代の私は ピカソの「変化をすること」がひかれるところだったんですが 「さて」 ですね。
『ピカソとその周辺』フェルナンド・オリヴィエの途中から 世界の美術「ピカソ」で 植村さんの解説に移行して(またもどりますが)ピカソの作品とピカソについて 私なりに思いをはせてみましたが(こういう日本語でいいですか?)みなさんはどうだったでしょうか。
もうすこし 解説は続きます。

さいならさいなら
《 2016.04.18 Mon  _  1ぺーじ 》