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ピカソ

世界の美術 「ピカソ」河出書房 1963の続きです。

、<ゲルニカ>とシュルレアリズム

 新古典主義の時代は1924年を境に終わって、ピカソの制作は再びキュビズムの傾向を強めだす。バールはこの時代を、曲線によるキュビズムを特色とする時代だと説明しているが、確かに線の動きが主流になりながら、ものの形も以前のキュビズムの作品より多分に残っているし、色彩も線に協力しながら鮮やかになっている。この期では人物もあるが、静物のモティーフが非常に多い。<魚網>(1925年)、<マンドリンをもつ女>(1925年)、<画室>(1925年)、<三人の踊り子>(1925年)などに、この特色がみられる。 
 1924年というと、第一次大戦でヨーロッパ社会が革命的な変動を経験した後であり、一方で抽象芸術が華々しく前進を開始していたが、他方、アンドレ・ブルトンをリーダーとするシュルレアリスム(超現実主義)運動が、パリで「シュルレアリスム宣言」を発表して進撃を開始した年である。
ピカソがこの新しい現実の動きに無関心でいるわけはなかった。ピカソは自分をシュルレアリストと呼ばれることを嫌っていたが、その後はシュルレアリストの展覧会にも出品したり詩を書いたりして、積極的活動をみせた。そしてピカソは、キュビスムにシュルレアリスムを結合して独自の道を開拓している。

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「シュルレアリスム宣言」まさに芸術は進撃なのですね(笑)
ピカソがこの新しい現実の動きに無関心でいるわけはなかった。そうですか ピカソの詩
ってどんななんでしょうね。キュビズムにシュルレアリスムを結合して独自の道を開拓したんですね。
日本ではどういう時代だったんでしょう。1923年関東大震災が起こっています。1918年第一次世界大戦終結。1917年ロシア革命。
こんなこともありながら ピカソのキュビズムやシュルレアリスムが進むわけで あとどう続けていいのか分らない。

さいならさいなら 
《 2016.04.07 Thu  _  1ぺーじ 》