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ピカソ

世界の美術 『ピカソ』河出書房 1963の続きです。

キュビズムに向かう前夜

 クリスチャン・セルヴォスの記録によると、この<アヴィニョンの娘たち>のためのエスキース的な習作は17枚あるといわれる。習作は、この大作に彼がいかに苦心したかを示している。ピカソはこの裸婦群像の着想を1906年夏、ゴソルに滞在したときに始めたといっているから、完成には1907年末まで約1年半を要したことになる。ところで、下絵を見ると、最初はセザンヌの水浴の構図が利用されていることは明らかであるから、ピカソの<アヴィニョンの娘たち>は、以上述べたさまざまな要素が複合され蓄積して創造されたものであることがわかる。
 この時代は<ネグロ芸術の時代>と呼ばれてもいるが、<アヴィニョンの娘たち>のほかに<黄色の服をきた婦人>(1907年夏)、<踊り子>(1907年)も同じ様式に属する作品である。中でも<踊り子>は、形体は乱暴なほど変形されているし、はげしいムーヴマンを示している。これもこの時代の傑作の一つであるが、なんとしても<アヴィニョンの娘たち>は、キュビズムに向かう路線を明確に打ち出した転換期の代表的傑作であろう。
 人物も静物も衣服も半ば抽象的な形体に変形された上で意識的に組み立てられているのは、キュビズムのはじまりを示すものである。この作品が20世紀絵画史において新しい時代の始まりを()する作品であったといわれる理由は納得できよう。いわゆる対象を再現する写実絵画の鉄則を破壊し、新しい造型原理によってリアリティを表現しようという20世紀絵画の大道が、もう目の前に見えてきた感じである。
 19世紀と20世紀を距てていた視覚の山腹にトンネルを掘抜いた事業がキュビズムであったとしたら、この作品は、そのトンネル工事の出発にたとえられていいのかもしれない。現代の画家は、このトンネルを通らないと20世紀の美術史には出られないのである。

***

きのうはこのピカソのキュビズムとセザンヌの<大水浴図>のよさがわからんのよ などと言った気がしますが。進歩とか新しいというところから物事を見ますとーー
わたしたちはものを見るとき 何次元で見てるんでしたっけ?ちょうどここにベティ・イーディー著 鈴木秀子訳の「死んで私が体験したこと」という本がありました。またあの世界ですかといわれそうですね。私もその気分にならないとあまり手に取りません。
ベティーさんが自分の死体がベッドに寝かされているのを見るというところがあります。自分の顔を見るということは 他人にしかできないことですね。それを彼女はした。どこがどうちがうのでしょう。ベティーさんは「私は生まれてはじめて自分の姿を三次元で見ていることに気がつきました」といっています。「鏡で映った姿ならよく知っていますが、それは平面でしかありません」と。「不完全な肉体の目とはちがって もっと多くの次元でものを見る」この言葉の中に「霊の目」という言葉が入っていましたが これをぬいたとして 視点が進化するというのはこういうことをさしてるんじゃないかなぁと。
どうなんですかねぇ。ピカソはここでもセザンヌの水浴の構図が利用されていると書いてありますね。ピカソもセザンヌも景色や人物を他人の視点で見ることができるわけですから すくなくとも鏡で自分を見るようなことではないわけです。
ところがピカソの<髪をくしけずる裸婦>なんかいろんな視点をもって描いているのですが もうこわいとしかいいようがありません。
それでも20世紀絵画の大道「新しい造型原理によってリアリティを表現しようということ」なんですね。このピカソの道を通って 後の芸術家たちはどういう表現に持って行くことが可能になったんでしょうね。「ピカソはこれ以上何も出て来ないというくらいやりつくした」そう思っていたわたしなんですが それくらいピカソは欲張りなやっちゃと思っていたんですが これは実は間違いだったんですね(笑)
ピカソは親切にも視点を3次元までひろげる仕事をしてくれたんですよね(まだよくわかっていないのですが)
ピカソがおじいちゃんになったときの自画像はあいかわらず2次元でしょうが。

さいならさいなら

《 2016.03.05 Sat  _  1ぺーじ 》