who am ?I

PAGE TOP

  • 02
  • 16

ゴーグ

スキャン1996.jpeg
『印象派時代』福島繁太郎著 光文社 昭和18年の続きです。
上の絵は<星月夜> 1889年 73cmx92cm 彼が発作の合間をみては、夢中で描いた糸杉の中に、この絵がある。眠れぬ夜、窓から見た風景を描いたものであろう。世界の美術ゴッホ 河出書房

ゴーグ

 強烈なる色彩を用いたこともゴーグの特色であるが、色彩についてもフランスの画家たちとは異なっているものがある。モネーでもルノアールでも色彩のこまやかな階調を重視しているが、ゴーグにはそれがない。生の色のコントラストを持って色彩の均衡を保たしめている。これは色彩に強烈感を与える原因でもあるが、一面色彩の深さを欠く原因でもある。色彩の階調を重視せずコントラストのみをもって色彩の色彩の均衡を保たしめることは、北方の欧州人にはしばしばあることで、現代においてもシャガル、スウチンヌなどはその例である。

***

モネーでもルノアールでも色彩のこまやかな階調を重視しているが、ゴーグにはそれがない。

「色彩の階調」こう言うんですね。いまでこそどんな階調でも 「細やかさに欠ける」なんて評価のみではなさそうですが 当時はダサいとうつったのかな。丁寧な筆さばき どうやってこの肌の色や 服のしなやかさは描かれたのだろう などといった感嘆の声が 絵をみる一般的な基準だったのかも 私もその時代にいた人間になって 想像してみました。北方の欧州人にはコントラストのみをもって色彩の均衡を保たしめる画家が多いといってますね。シャガル、スーチンヌ このスーチンヌのヌはどうです? 英語の時間に先生が「最後にヌをつけた僕の先生の発音はね」と笑いながらまねをして発音してたっけ。
ゴーグ、シャガル、スーチンヌ この発音はどういうことなんやろ。
 さて、作品はいろんな人の目をくぐりぬけている ということなんですね。福島繁太郎さんの目はこうです。なんかまっすぐな感じが 解りやすくていいなあと思います。その画家と作品にぶつかって相撲を取ってる感じがして。
いまも作品は生まれ続けていますが 絵と音楽曲のちがいはどういうところにあるんやろ そう思うことがあるんですよ。 ちょうどわたしは『音楽と文化』河上徹太郎、『印象派時代』福島繁太郎この二つを読んでみているでしょう。やっぱり大きくちがいますよね。絵は描いた人がいて 他の人の絵ではない。音楽曲は書いた人と 演奏する人がいて じっと見てるだけだと 話にならない(笑)
音楽は指揮をする人の個性もある。オーケストラにもなるし ピアノ一つってのもあるし歌付きもあります。
でも、絵も音楽も相手がいないとね これ共通項かも。

さいならさいなら 
《 2016.02.16 Tue  _  1ぺーじ 》