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現住所は空の下

『現住所は空の下』 高木護著 1989 未来社の続きです。

一期一会  敬礼かんじん

 南九州の小さな港町に、私は2週間ほどいたことがある。
 二、三日のつもりが、港のポンポン船のエンジンの音や夕焼けに魅されてしまい、一日のばしになったのだった。
 あのころは九州一円をぶらぶら歩いていたが、どこか眺めのいいところや食い物にありつけるところがあれば、足を留めることにしていた。それにしても、小さな港町に二週間もいたのには、もう一つの理由があった。
 一人のお爺さんと出合ったからである。お爺さんという年齢ではなかったかもしれないが、瘦せこけていて、よごれかぶっていて、ひょろひょろしていて、ふらふらしていたから、お爺さんに見えたのかもしれなかった。このお爺さんのことを、町の人たちは「敬礼かんじん」とよんでいた。
 わたしは何か食い物はないか、いいことはないかと、港をぶらついていたら、向こうからもふらふらした仁がやってきた。
 昔だったら、「あいや」と声をかけるところだったが、声をかける代わりに、目をやった。先方も「わしと似たのがいるわい」と思ったのか、わたしを見た。
 かくして、二人は目が合った。
 相手の目が笑いかけてきた。実にほのぼのとした笑いである。わたしも負けじと、顔に笑いを浮かべた。相手はわたしの前で立ち止まると、キオツケの姿勢をして、兵隊さん流の敬礼をした。わたしはびっくりして、敬礼を受けかねたが、返さないわけにもいかないので、あわてて返した。
 二人はすれ違った。
 わたしは五、六歩行ったところで、まわれ右をした。お爺さんのあとから、ついて行ってみようと思ったからである。
 海風が吹いてきた。
 潮の匂いがして、ちゃぽんちゃぽんと波音も聞こえてきた。
 お爺さんは風に吹かれてよろめき、舞うような歩き方をした。いまにもふわっと、舞い上がりそうだった。わたしも真似をしてみたが、足がもつれてよろよろするだけで、尻餅をつきそうになった。
 お爺さんはだれかとすれ違うたびに、キオツケをしたりしなかったりで、敬礼をした。敬礼をされた人たちも心得たもので、やあ!というように手を上げた。
 家の前にくると、家にも敬礼をした。家によっては中から人が出てきて、お爺さんに何かいった。
お爺さんもムニャムニャとこたえた。口の動きからして、
「敬礼さん、きょうはめし食ったかな」
「ああ」
「まだ食うなら、何か差し上げまっしゅうか」
「うんにゃ、いらん」
といっているようだった。"うんにゃ"というのは発音の仕方によっては、いろんな意味にとられた。
 "そうですね" "まだですが" "どうしょうか" "あの..."といったことでもあった。
「ほんなら、一服して行きなはり」
「ああ」
「お茶でも入れてあげまっしゅうか」
「うんにゃ」
ともいっているようで、お爺さんは「うん、うん」と頷いたり、首を振ったりもした。
 港外れに、防波堤があった。
 寄せてきた青い波が砕けて、白い波となり、ちゃぽんちゃぽんと音を立てていた。
 そこまでお爺さんは歩いて来ると、たかさが二メートルくらいの防波堤にしがみついて、よじ登った。
 お爺さんは防波堤の上に立つと、海に向かってキオツケをして、敬礼をした。
 わたしも防波堤に、よじ登った。振り向いたお爺さんに、
「りっぱですたい」
 声をかけた。
「なんが...」
「敬礼がですたい」
 キオツケをして、お爺さんと、ついでに海にも敬礼をしてみた。敗戦の日から、十年近く経っていた。わたしはマライの奥地のメンタカーブというところで敗戦の日を迎えた。少年軍属から、現地入隊させられた陸軍飛行一等兵だった。
「わしゃ、兵隊」
「ああたも兵隊さんに、征きなはったかいた」
「頭をやられた」
「頭を負傷しなはったかいた」
「やられた」
 お爺さんは「やられた」をくり返した。
「頭をかいた」
「やられた。やられて、へんになった。おかしゅうなった」
「おかしゅうかいた」
「うん」
 お爺さんは頷き、
「打たれた。バカになった」
といった。
「殴られたっかいた」
「うん。戦争、わしゃ、きらい」
「きらいかいた」
 お爺さんはきらいと、きらいに力を入れていった。
「なぐられなはったつは、将校にかいた」
「うん」
「下士官にかいた」
「うん」
 お爺さんの目はしょぼしょぼしていて、悲しそうだった。
 戦争は人間たちを畜生にしてしまうようであった。軍隊は人殺し集団になる。将校や下士官たちは"上官には絶対服従"ということを、いいことにして、あれこれ難癖をつけては兵隊さんたちを殴りつけた。そのために死んだ者も、気が狂った者も多いらしかった。敬礼かんじんのお爺さんも、戦争や軍隊の犠牲者の一人らしかった。わたしは敬礼よりも、戦争や軍隊にアカンベイ!をしてやりたかった。

***

このあいだなくなった水木しげるさんの「ラバウル戦記」を読み終えたばかりです。
戦争というのは軍隊が我が国以外の国の軍隊と戦うものだと思われますが この高木さんの話にしても 水木さんの話にしても もうひとつ怖い相手がいます。それは将校や下士官で 自分より位が上だというだけで なにかにつけ難癖をつけてなぐりました。それで気の狂った人や けがをしたり死んでしまった人もいるそうです。

他人事ではないと子供をひっぱたいたときのことを苦々しく思い出しました。
戦争という出来事で だれもがおそれをもって 怒りを爆発させ 内でも外でも 暗いことが起こります。高木さんは若くして戦争に行って 人間の持ってるものを見てしまったのでしょうか。この本を読ませてもらってると 高木さんは人を金持ちだとか上下関係だとかそういうことで人をばかにしたりしません。 それは驚くほどはっきりしています。酒に飲まれたり飲んだり 失敗をくりかえしたり そういうことも人にはあると知っている。そして下のものを殴ってしまう人間がいるということも。そこには話し合いなどないのです。その人の原形が戦争という事態が起こっても 表に現れて来るんじゃないでしょうか。
しかしたまにいい人もいる。これは水木しげるさんの感想ですか。水木さんもおもいっきり上官に殴られた人ですね。
「敬礼かんじん」に高木さんは「りっぱですたい」と心からのことばをかけましたね。
高木さんのこの話は 「敬礼かんじん」との言葉のやりとりが圧巻ですね。「アカンベイ!」高木さんのこの言葉 なんか身にしみてきたなぁ

さいならさいなら

 


《 2016.01.21 Thu  _  1ぺーじ 》