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ジァコメッティ

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『コレクション 瀧口修造』1991 みすず書房の続きです。

ヨーロッパ紀行 
見えない出会い アルベルト・ジァコメッティ

 ところでパリのアンドレ・ブルトンの書斎で私ははからずもそのオブジェに出合った。おびただしい蒐集品の並んだ棚の上に、それはつめたく静止していた。私は思わず指さして、「あれがある」という眼くばせをすると、ブルトンはやや皮肉な笑みを浮かべて、「あれはもう動かない....」というのだった。それには「もうはたらかない」という意味が含まれていて、ブルトンの口をついて出た片言のうらに、以外に深いオブジェの運命と異議が暗示されているように思われた。

 もしジャコメッティのシュルレアリスム時代の作品を、その後の人物像から様式的に識別して、価値を問うだけならば、大きな不毛を招くことになろう。むろん、あのようなオブジェはおのずから異なった発想と過程からつくられたものであるにちがいない。作者はその後、いつもモデルを前にして仕事をするようになったのに対して、あれらのオブジェは「モデル」なしで、しかも長いあいだ深い意識の中で醸されていて、それがある日、突然形をとって現れたものであろう。あるときは、古物屋で見つけた奇異なオブジェが、ブルトンの言葉をかりれば「触媒」となることもあったらしい。
いずれにしても、この種の作品と、その後の人物の彫像とのあいだの真のつながりを見いだすことは容易なことではないにしても、不可能なことではない。それはあのような二つの形式ないし様式がまずあったのではないということである。あの痩せた(痩せつつある)彫像がもつ空間と、あの不安なオブジェの謎めいた空間との通路を渡ることが問題だからである。作者自身が如何に拒否したとしても(作者自身だからという理由だけでは薄弱だ)、この空間の外見上のちがいを抹殺することが重要だと私は思う。ある日の「シュルレアリスム」という形式と、もう一つの日付のあるいわゆる「彫刻」との底をつなぐ生命こそが問題であり、それがジァコメッティだからこそ、そしてほんとうにジァコメッティらしく問題なのであろう。もしシュルレアリスムそのもののこの人生への提案に意味があれば、そんなふうにしてしか現れない性質のものであろう。

 ブリュッセルの「見えない物体」の前で私をとらえた一種異様な感じは、案外複雑な状況にうらづけられていたといえるかもしれない。そしてあそこにあると考えられているジァコメッティの作風の岐路が、実はこのような認識の岐路と表裏をなしていることを知るのである。

 そろそろパリを立ち去ろうとしていた秋の夜、私はホテルから歩きだして、ふとモンパルナスのクーポールのテラスに眼をやると、テーブルのひとつに、なにか灰色のかたまりがうずくまっているのに気がついた。瞬間その灰色のなかの視線がこちらに注がれるのを感じながら、私はなぜか振り向きもせず静かに通りすぎたのだった。
 世界のあちらこちらで、歩いたり、佇んだりしている細長い人間のシルエットの作者だとはすぐ気づいたけれど、それは灰色の人魂のようなものとして、私の網膜を通っていっただけで終わったのである。

***

アンドレ・ブルトンの書斎のたなにジァコメッティの細長い人間の像を瀧口さんはみつけたのでしょうか? それともシュルレアリスム時代のもの。
それでなくてもこのシュルレアリスムのことがよくのみこめていないわたしです。「あれはもう動かない...」どういうことやろう。

そういえばきのうのゴッホの話にしても あとで<麦畑の上を飛ぶ鳥>については たおれたゴッホのよこのイーゼルにこの絵があったとかなかったとか もうそれはあいまいで伝説めいているのです。ゴッホの死後 ゴッホの事を一番知っているはずの弟のテオは精神を病み6ヶ月後亡くなっています。ただ、ゴッホは自分が死んだら 遺された絵がきっと売れ テオの家族を経済的に助けることができると信じていたのですね。まわりでもそういうことがあったのでしょう。そうすると死に向かう理由は十分ありますね。

 そうそうここはジァコメッティとアンドレ・ブルトンの話でした。
上にのってるシュルレアリストの面々をごらんください。アンドレ・ブルトンはかっぷくがいいですね。ダリまだ普通の髭です。エルンストは金髪?マン・レイもいる。
ジァコメッティはいません。ここから私の勝手な想像がはじまります。つまりジァコメッティは個人の心の物語を持っている人だったのです。それはブルトンたちのシュルレアリスムにちょっとは重なる所はあっても みんなで寄り集まっておしすすめていく 形式の進化をめざすものではなかったのです。でも彼がブルトンたちのグループから抜けたとしてもそこにはかならず接点がある。瀧口さんはいってますね。外見上のちがいを抹殺する。そこをつなぐ生命こそが問題である。そうですね。

詩人ブルトンが1924年28歳のとき「シュルレアリスム宣言」が発行されます。 
1930年代ジァコメッティは「現実の物体や人体がそこにあるという不思議さを表現する」ことに再度挑戦し始めます。これが一貫して死ぬまで続くのです。
「最初から意識的に現実と遊離した作品を創ろうとするグループの弱さに満足できなくなっている」

彫刻や絵を描くことって「なんで?」とか「不思議」とかそんな入り口に入り込んでいく。 ジァコメッティはそんな人のようですが。ところでこの「ジァ」どうやって発音するの?(ま いいか)

瀧口さんがパリを去ろうとしていた時、モンパルナスのクーポールのテラスに眼をやったとき テーブルのひとつに、何か灰色のかたまりがうずくまっているのに気づく。その視線を感じながら瀧口さんは通り過ぎる。でもそれがジァコメッティだと瀧口さんは感じている。これなんやろなあ。ジァコメッティが最後までつくりつづけたことがこの感覚なのかなあ。「見えない物体」

私はこういうことを考え続けるのが面白いと思いました。私の絵にはこんな謎はありません。こっちのほうがよっぽど興味深いと思うことがあります。なんで見えない物体なのに細く細くしてジァコメッティは我々に見せたのかな。

さいならさいなら
《 2016.01.20 Wed  _  1ぺーじ 》