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現住所は空の下

『現住所は空の下』高木護著 未来社 1989

一期一会
記憶にない人

 予告もなしに訪ねてくる人たちがいる。女の人ならいいけれど、たいてい男である。
 先日も一人、訪ねてきた。
 ドアをノックする音がした。遠慮がちにトントンと叩いて、しばらくしてまたトントンと叩いた。風のいたずらみたいな小さな音である。だれだろうと出てみると、五十くらいの見知らぬ男の人が立っていた。
「ーなんでしょう」
 わたしが訊くと、男はにこにこ顔になって、
「ーやあ」
といった。
「どうも....」
 わたしは応じた。どこかで出合った人なのかもしれないが、こちらが忘れているのかもしれないと、もう一度、男の顔をわたしの頭の中の記憶機にかけてみた。このごろは油も差さないので、だいぶん錆つきかけてはいるが、ゆっくりまわせば、まわらないこともなかった。だが、やはり記憶機にかけてみても、男はだれなのかわからなかった。まあ、いいや、そのうち憶い出すだろうと、
「きたない部屋ですが、お上がり下さい」
と、男を招き入れた。
 男がだれにしろ、こんなところにお金を借りにくるわけもないし、いのちを取られることもないだろうと思った。
「仕事のさまたげになると、いかんですから...」
 男は遠慮した。
「たいしたことはしていませんから、どうぞ」
「ではちょっとだけ」
 男はゴム靴を、今流にいえば、」スニーカーを履いていた。靴はくたびれていたが、ズボンも半袖シャツも真新しいものだった。
 男は部屋に坐ると、
「ーやあ」
と、もう一度いった。
「あなたはだれでしたか」
 訊いてもよかったが、訊いたら、何か一つたのしみがなくなってしまうような気がしたので、黙っていた。
「たくさん本がありますね」
「というほどではありませんが、仕事ですから」
「本の仕事ですか?」
 男は部屋の中をくるりと見まわした。本の冊数を数えてみたことはないが、おおよそ四、五千冊くらいのものだったから、本だらけというほどではなかった。
「いくらかは関係あります」
 そんないい方を、わたしはした。もの書きですとははずかしくて、とてもいえなかった。
「あれから何年になるでしょうか」
「何年になるでしょう」
 わたしは相手の出方を待った。
「兄貴が死んだときに、一度お目にかかりましたが、いつかこちらにきたときにも、電話をさせてもらいました」
「そうでしたか」
とはいったが、兄貴とはだれだろう。すると、目の前の男は、その弟ということになるが、まったくなにも憶い出さなかった。
「いちど、お目にかかっただけでしたか」
「町で、何度かお見かけしたこともありますが....」
「そうでしたか。あちらででしたか」
ともいってみた。あちらでというのは、あちらでというだけのことで、どこだったのかを憶い出すためのよび水のことばでもあった。
「カンちゃんも無くなられたそうですね」
「あの、オケラのカンちゃんですか。彼も三、四年前になくなったようですよ」
 オケラのカンちゃんなら、昔の人夫仲間だったので、わたしはよく知っていた。カンちゃんとは人夫宿の相部屋になったり、工事場で一緒になったり、どちらも仕事にあぶれたり、宿なしになったり、着ているズボンやシャツを酒代にしてしまったりもした。カンちゃんはお調子者で、口から出まかせのうそつきで、飲んだくれだったけど、気のいい男で、仲間がこまっていると、自分のことはそっちのけで助け舟を出した。わたしは人夫の足を洗い、カンちゃんはつづけていたが、三、四年前のこと、クルマにはねられて死んだという風の便りを聞いた。
 となると、場所は北九州ということになる。
 それにしても、目の前の男はだれだったろう。男の兄貴というのはだれだったろう。
「あなたが電話をしてくれたのは、去年でしたか」
ともいってみた。
「五、六年前のことです。会社の仕事で上京したものですから」
「あなたも北九州におられたのですか」
「いや、ずっと広島市に住んでいます」
「広島でしたか」
 男はだれなのか。ますますわからなくなってきた。男の口から、オケラのカンちゃんと言う名前が出てきたが、男にしろ、男の兄貴にしろ、昔の人夫仲間ではなさそうである。
「兄貴さんの年はわたしよりも.....」
 かまもかけてみた。
「一回りくらい違っていたのではないでしょうか」
「若く見えたのにな」
ともいってみた。
「あんな商売をしていましたから、気苦労はあったのでしょうが、他の商売からしたら、楽でしたからね」
 それで、男の兄貴という人は何か商売をしていたことはわかったが、なんの商売をしていたのだろうか。あのころ、出入りしていたところといえば、人夫宿、めし屋、一ぱい屋、クズ屋、ジガネ屋、質屋くらいのものだったから、そのうちのどこかということになる。
「昔は方々に迷惑をかけてばかりいましたから、あなたの兄貴さんにも、迷惑をかけたことでしょう」
「ーふふう」
 男は笑った。
 一時間ほど当たり障りのない話をしたが、一体だれなのか、とうとうわからずじまいであった。

***

「タケノコご飯」?大島渚監督の原作の絵本のことをきのうテレビで見ました。
今は先生の宿直室というのがあるんですかね。わたしたちが学齢の頃はあったように思います。担任の色白の優しい男の先生がいました。その先生の宿直の時に数人の男の子がそこに行っていっておかしをたべたりしてたのしい時間をすごしたという話です。で、その先生も戦争に行くことになります。そのこどもらは先生のお家でタケノコご飯をいっしょに食べさしてもらうことになります。戦時中のことですから先生が出征される日が近づいていたのでしょう。大島渚監督は その男の子の中の一人だったのです。みんな腹いっぱいタケノコご飯をたべるんだけど、その中の一人がみんなが食べ終わってもお茶碗を口の所にもったままいるんです。みんながどうしたんだろうと見ているとそのこは泣いてるんです。そして「せんせい死ぬな」といいました。
それで その先生もとうとう亡くなるのかな 戦争で。
この本は一回奥さんの小山明子さんが朗読されただけなので しっかり覚えていないのです。大島渚監督はすぐにおこりだすかたのようなので、「ちがうんだよ。もっとその本を買ってから言えよ!!」とどなられそうです。
ここまで書いて、「えっなんで高木譲さんの本なのに 大島渚さんなの?」と自分のことながら驚くやら。
だけどこんなに書いたのですから なにか高木さんのこの「記憶にない人」とつながるのでしょう。
あっそうだ大島渚さんのこの本はほんとうに男の子が「せんせい死ぬな」と言ったのだろうかということと 高木さんの「記憶にない人」とがどうもつながるとわたしは思ったのでしょう。そして疑り深い私がセットになって。
でもだからといって 2人の文章のねうちが下がるわけではありません。
タケノコご飯のその「せんせい死ぬな」といったところでは泣いてしまいました。
で高木さんのオケラのカンちゃんや高木さんと共にいた人たちは ここからは簡単にかたづけたらいかん高木さんの仲間のようで 黙る他ありません。(私はこういうとき黙ってしまうのです)
2人は「なぜこんなこと 書いたんやろ」と考えているところなんです。
それにしても 高木さんのこの「記憶にない人」というのは「風のような文章のリズム」がウソのように心地いいなあと感心するのでした。
「あの人じゃない?」とか「寅さんのような人いなかった?」とか思ったりもするし。
私はすぐ「これほんまのはなし?」と聞く癖があるらしいです。でもほんまやと思った後で疑うのも私です。
高木さんの文章って打ってみると 案外「かな文字」が多くて むずかしいんですよ。でまちがえて漢字にしてしまったりすると「はあ そこはかなで」と思われそうです。
漢字が多いのも大変ですけど(笑)
大島渚さんの場合は「人のことはいいんだ!!」どなられそうだな。

さいならさいなら

《 2016.01.15 Fri  _  1ぺーじ 》