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ピカソとその周辺

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『ピカソとその周辺』フエルナンド・オリヴィエ著 佐藤義詮訳 1964の続きです。

メドラノ曲芸場

 彼は目に写ったものは何でも利用した。大抵の場合は、記憶をたどって、強烈な色彩のクロッキーを描いていた。彼はまず物を客観的に見たようだ。しかし、一度眼に映像を記録すると、彼は見たものを精神的に変形して再現することが出来た。彼の精神と空想が、その時そこに混入されて、彼の独創的な作品が創り出されるのだった。
 そうは言うものの、彼はパリーを讃え、道化師たちを愛した。メドラノ曲芸場の夜間興行に私たちがみんなで押しかけると、ピカソは暑苦しい、胸が悪くなりそうな、()の臭いのする酒場にがんばっていたものだ。彼はブラックと一緒に、そこで一晩中道化師たちと喋っていた。そして彼らのぎこちない様子や、彼らの訛や、舞台にのぼっていない時には実に平凡であったが、彼らの受け答えを面白がっていた。彼は彼らを熱愛し、彼らに対して心からの好意を示していた。
 彼はイレスとアントニオ、アレックスとリコと知り合いになった。彼はある日、オランダ人の道化師と、彼の妻君のポーランド人の女曲馬師とを、彼の家の晩餐に招待した。彼らは、殊に男の方はこの上もない無作法な連中だった。
 グロックが、当時、アントネと組んでデビューしたばかりだった。これは全くの神技で、場内は爆笑と熱狂の渦巻きだった。私たちはもうメドラノから離れられず、一週に、3、4回も見物に出かけた。ピカソがメドラノで腹の底から笑うのを、私はついぞ見たことがなかった。彼はそれが決して深い楽しみではないことも忘れて、子供のように面白がっていた。
 彼はまた、別の意味で、拳闘が好きだった。彼は体力というものにはいつも驚いていたので、そういうところから拳闘を愛好したのだ。争闘の美しさが、芸術作品の場合と同じように、彼に興味を抱かせたのである。彼は拳闘家を道化師に劣らず愛していたが、愛し方が違っていた。ピカソは彼らの前では、おびえているようなところが見えた。そして彼は、そうした連中にも友達を持っていることを、とても自慢にしているようだった。

***

ピカソは道化師をよく描いていましたね。1905年「坐せるアルルカン」このころですかね。1904年にオリヴィエと同居生活をはじめていますから。このころを「桃色の時代」というんだそうです。メドラノ曲芸場では 道化師に熱中しています。パリはピカソにとって こういうことが魅力があったというのがよくわかりますね。ロートレックもそうでした。
「絵になる」ことをピカソはすぐにつかむんでしょうね。でもロートレックのような長い物語はない 拳闘だって好きでそれはまわりに自慢するためだ(笑) でも次には「アヴィニョンの娘たち」を描く。走り抜けて行く感じではありませんか? 興味を持っている間は夢中 なんかピカソは女に対してもそんなふう。でも夢中のエネルギーが半端じゃない。
そんなことをぶつぶつ思いながら。
オリヴィエはピカソのことをよく見てますねえ 「彼は拳闘家を道化師に劣らず愛していたが、愛し方が違っていた。ピカソは彼らの前では、おびえているようなところが見えた。そして彼は、そうした連中にも友達を持っていることを、とても自慢にしているようだった。」
「彼は目に写ったものは何でも利用した。大抵の場合は、記憶をたどって、強烈な色彩のクロッキーを描いていた。彼はまず物を客観的に見たようだ。しかし、一度眼に映像を記録すると、彼は見たものを精神的に変形して再現することができた。彼の精神と空想が、その時そこに混入されて、彼の独創的な作品が創り出されるのだった。」
このオリヴィエのピカソノ絵に対する見方は ある意味ではわかりやすく ある意味では手品のようにむずかしいですね。
そうそうこれはどういう意味かな「ピカソがメドラノで腹の底から笑うのを、私はついぞ見たことがなかった。彼はそれが決して深い楽しみではないことも忘れて、子供のように面白がっていた」

さいならさいなら
《 2016.01.04 Mon  _  1ぺーじ 》