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ゴーグ

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『印象派時代』 福島繁太郎著 光文社昭和18年の続きです。
上の本は12月30日にとりあげた「ゴッホの話 あれやこれや」に登場した本です。

ゴーグ アルル時代(1888年2月ー1889年5月)

 2ヶ月前のパリ生活にゴーグは疲れた。そして光を追って色彩を求めて南仏プロヴァンスのアルルに行った。
 アルルはローマ時代の遺跡もある古い静かな地方都市である。プロヴァンスの熾烈(しれつ)な太陽と乾燥した空気は、地上を生々とした色彩で満たしている彼の好みにぴったりとあった土地であった。彼は弟のテオに「日本よりも美しい」と書き送った。彼はもちろん日本に来たことはないが、その芸術に深く心酔していた。彼の憧憬の国は日本であった。その憧憬の国に行ってもこれ以上に美しい事はないと思ったのである。
 アルルに来てゴーグの内にひめられていた天分は、一時に生彩を発揮してきた。寒地の花が春風にあって、梅も桜も桃も一時に咲き出たようなものである。新印象派風の技法も板についてきた。パリ後期は新技法に不慣れなためか何か逞しさが欠けているようであるが、アルル時代になると新技法を縦横無断に駆使して、絵画史上かって見ない激情的な個性的な画風をつくりあげた。かってポリサージの炭坑区の伝道師として貧民の救済に身を焼き尽くした熱狂が、こんどは絵画の上に注がれた。人間業とは思えぬ速度で実に驚くべき多数の制作をした。それでいて後世のゴーグの追随者のような粗放な絵ではない。画面の隅から隅まで神経が行き届いている。自然に接しての情感を直ちに画布にたたきつけ、しかも的確を極める才能は驚歎すべきである。

***

ゴッホという人は 短期間のうちにのぼせて そして絵もその熱狂とともにすごいものを描く。しかしとても疲れてしまって どうにもならなくなる。日本の浮世絵版画に魅せられたときもそうだったんでしょうね。そんな人いるよなあ と考えていますと 子供でいますよね。12月30日の「ゴッホの話 あれやこれや」では弟テオとのパリでの同居生活もきりあげて アルルに行くのですね。パリはきっとそこに憧れて来る画家たち そして騒々しい都会の空気 ゴッホのような人は耐えられなかったんでしょうか。私もパリという言葉が出てくるとその雑誌を買ったり 憧れたものです。しかし 現実は厳しくて よほど強い意志を持っていないと 押しつぶされてしまうんでしょうね。そしてアルルのように明るい太陽がないところなんだ きっと。
ゴッホという人は 自分の情熱を画布にたたきつけるとき すごいんだろうな。そのうえ隅々まで神経が行き届いている。そうするようになっている人だから もう止めようがないと云うか。私はユルユルを選んだなあと思います。しんどいのはごめんだというのでね。ときに情熱的に描くとそりゃあしんどいでっせ。ゴッホの体は精神をやられるまでもっていけるほど どこか強かったのかも なんて想像します。
人間業とは思えぬ速度

さいならさいなら 
《 2016.01.01 Fri  _  1ぺーじ 》