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ブロンテ姉妹

『ブロンテ姉妹』その知られざる実像を求めて 中岡洋 NHKカルチャーセンター
 
結婚問題

 女性のゴールが結婚であったこの時代に、独身女性の生き方はきわめて悲惨で困難なものであった。家父長制度社会において、女性が独身でいることは父親や長兄の顔に泥を塗るのと同じであった。しかしそうであっても中産階級以上の女性は仕事に就くことは許されなかったため、独身でいる間は父親や兄の世話になるしかなかった。それゆえ独身女性は肩身の狭い思いをしながら暮らしていた。また長兄が結婚すれば、兄嫁との間に自然と軋轢が生じ、できるだけ速く結婚して家を出て行かなければならなかった。
 そのような状況のもとでは女性たちが早く結婚したいと思うのは自然なことであるが、ギッシング(1857−1903)の『余った女たち』(1893)に見られるように、人口の男女比のみならず、移民の奨励によって男性の数が著しく減少し、特に財産のない女性が結婚することは至難の時代であった。

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結婚問題は この時代深刻だったようですね。家父長制度の社会において 普通の家庭に生まれた女性は 早く結婚して家を出て行かないといけなかった。独身でいる自由などなかったというわけです。
ココ・シャネルは孤児院で育ちます。孤児院を出れば 働かなければいけなかった。普通の家庭で育たなかったからです。だけど彼女の伝記を読む限り 彼女は働くことができたわけです。皮肉なことに貴族の愛人もしました。そしてファッションの世界を切り開いていき さらに女性の服装も改革をしました。服装であってもその頃の彼女たちは信じられないような窮屈なコルセットなどでしばられていたわけです。シャネルはフランス人でしたね。彼女が小さな帽子店を開店したのは1905年です。
ちょっとずれていますか?
人名事典のこのページの隣にはエドヴァルト・グリーグ ノルウェー国民音楽の推進者最後のピアノ曲「気分」を作曲とあります。
ちょっと本で知った人が出てくると つい書いてしまいます(笑)1905年です。グリーグの奥さんとこは結婚問題はどうだったのかしらとか。
この人名事典はね かつぎたいくらい重いのですが 20世紀のことだけなんです。地球は人で溢れていますが いっぱいの人がのっててすごいわ。あー重た
結婚問題と服装関係あるんですよね。ココシャネルは孤児院にいる時 孤児院のそとで生きていけるように裁縫などを教えてもらったでしょ。ところが普通の良家のお嬢さんは いいお婿さんをさがす親たちのもとでなに不自由なく 女中さんにかこまれて暮らしてた。しかし自由を求める女性には不自由でした。

20世紀の前のはなしは どこにいったのかな

さいならさいなら

《 2016.01.12 Tue  _  1ぺーじ 》