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ブロンテ姉妹

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『ブロンテ姉妹』その知られざる実像を求めて 中岡洋 NHKカルチャーアワー
上の写真は『ジェーン・エア』1959 世界若草全集 三笠書房です。

 柔軟なアン・ブロンテにしたらかなりきびしい主張をしているが、男女の育て方の違いに彼女が憤慨していた証である。アンは、女性に教育を施せば、彼女たちはろくな考えをしなくなり、やがて悪徳に結びつくという当時の女性蔑視というべき考え方に強く反対した。 シャーロット・ブロンテが『ジェイン・エア』(1847)のなかで男女平等をロチェスターに訴えたのもアンと同様に、当時の社会的因習に反抗してのことだったのである。
 このように女性の立場はきわめて弱く、男性と平等に扱われることはなかった。ダブル・スタンダードという二重の基準も男尊女卑の表れである。たとえば浮気をした場合、男性は許されたが、女性には社会の厳しい制裁が待っていた。また夫が病死したときでも、妻の責任が問われた。つまり、夫の世話を妻が甲斐甲斐しくしていなかったために、夫が病気で死んだのだと非難されたのである。夫を亡くした女性はその後、生涯喪服を着用するのが習わしでもあった。
 シャロット・ブロンテもこのダブル・スタンダードによって辛酸をなめた一人であった。シャーロットは『シャーリー』(1849)を発表したとき、彼女の作品を批評する予定であったジョージ・ヘンリ・ルイス(1817−78)に「女性作家」としてではなく、「作家」として評価してほしいと頼んでいた。しかし結果としてはルイスに「女性作家」として見くびられてしまい、シャーロットは『シャーリー』が正当に評価されなかったことをひどく憤慨したのである。
 またギャスケル(1810−65)の書いた『シャーロット・ブロンテの生涯』にもダブル・スタンダードに関わる出来事が書かれている。 もちろん実名は伏せてあるが、エリザベス・グリーンウッド(1790?ー1849)という娘は、姉(?ー1832)が1806年に嫁いで行ったキースリーのイーストウッド・ハウス(現代はヴィクトリア・ホールと呼ばれている)に住むウイリアム・サグデン(1786−1834)に誘惑され、男児エドワード・グリーンウッド(1809−?)を生んだ。1818年、事件によって娘を哀れに思った父親は大枚をつけて彼女を外科医ウイリアム・キャナン(?ー1842)とどうにか結婚させた。その後エリザベスは男児を出産したが、別居して、59歳で、姉と同じように結核で死んだ。
 ギャスケルはこの事件について、誘惑された哀れな娘は子どものうちに死んだと書いているが、実際は「子どものうちに死んだ」どころか、彼女の人生はそれ以上に悲惨なものであった。結局、この陵辱(りょうじょく)事件はその娘の涙で決着し、サグデンはエリザベスとの間に生まれたエドワードに1000ポンドの資金を遺譲し、また祖父のジェイムズ・グリーンウッドもエドワードが21歳に達したら、信託者が適当と認める職業のためにと500ポンドを遺した。しかしエリザベスには、一切何の補償も何の権利も与えられなかったのである。
 この理不尽な男尊女卑のダブル・スタンダードは現代でも残っていないといえないし、残っていることを逆利用しようとする呆れた女性たちも数を減らしているわけではない。
それゆえこの問題は今後とも容易には解決されないであろう。

***

ダブル・スタンダード こんなにあからさまにイギリスと国は男尊女卑だったのかと。1800年代といえば江戸時代 たしかにお殿様はだれよりも威張っていたようですが つまりイギリスでも貴族とかそれなりの役職についている人たちの世界が男尊女卑があってもちろん平民はそのうえ生活も苦しいから悲惨だったかもしれませんね。
誘惑されてできてきた子どもでも男の子でも 男の子の方が その母よりも待遇が補償されていたというわけですね。 
夫が先に死ねば 妻はずっと黒い喪服ですごす。看病が悪かったといわれもしました。
わたしはこういう風習は 夫のことを忘れないように こういうかっこうをしているのかなと思っていましたが(映画でも見たことがあります)必ずしもそうではないのですね。キリスト教の中身と こういうことはどうつながるのですかね。
われわれ女性が ここまでにくるまでのことを ブロンテ姉妹は書き残してくれたという訳ですね。
『ジェイン・エア』でてきましたよ。わたしはこの本を兄から送ってもらったんじゃなかったかなあ。そのときにはとにかく感動しました。長い小説を読んだ第一号かもしれません。 ロチェスターなつかしい名前。もう内容はすっかり忘れていますが ここでも主人公は当時の社会的因習に反抗しているんですね。
この問題は今も残っている 容易には解決されないであろうと書いてありますね。
そうか 
この本290円 1959年ですね。

さいならさいなら
《 2016.01.06 Wed  _  1ぺーじ 》