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ブロンテ姉妹

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『ブロンテ姉妹』その知られざる実像を求めて 中岡洋 2008 NHK
この写真はC・ブロンテの「ジェーンエア」でピカソの絵ですね。

ダブル・スタンダード
 
 先ほど述べたようにヴィクトリア朝時代の女性は千差万別で、社会進出を果たした女性もいたが、男女評価のずれは大きく、大半の女性はいまだ因習に縛られたままであった。
 当時、女性は家庭内天使であるべきだとされていた。すなわち、女性は家庭内で天使のようににこやかにほほ笑み、家族みんなの幸福の泉のような存在であるのがつねとされていたのである。理想的な構図は、暖炉の傍らに置かれたソファーで、男性は本や雑誌、新聞を読み、女性はその傍の椅子に座ってほほ笑みを浮かべ、編み物をする、というものである。これがよく絵画の主題となって描かれるだけでなく、家庭の幸福を代表するイメージとしてしばしば小説のなかにも登場した。こういう幸福な雰囲気をヴィクトリア朝時代の人々は好んでいた。しかしそれは女性を家庭のなかに縛りつけ、女性の社会進出を妨害するための男性側の巧妙な手段であったのである。
 当時の女性には教育の自由も許されていなかった。決められた課題をこなし、余計なことは何一つ試みてはいけなかった。みんな女性は行動範囲を定めたエチケット・ブックによって教育され、女性にはひときわ厳しい掣肘(せいちゅう 脇から干渉して自由を妨げること)が加えられていた。
 アン・ブロンテはこうした男女間の教育の差異について『ワイルドフェル・ホールの住人』のなかで次のように述べている。

 女性は誘惑に晒(さら)されないで済めばそれだけでよいとか、悪徳やそれに繋がるものに接しないで済めばそれに越したことはないとお考えでしょうー女性は本質的に悪にとても染まりやすいか、心が弱いから誘惑に逆らえないとお考えなのにちがいないですわー女性は何も知らずにいて自由のない間は、純情で無垢かもしれませんけど、真の徳には欠けているから、罪を起こすのを話しただけで、もう罪人になってしまう、女性が知識をもてばもつほど、自由が広がれば広がるほど、女性の堕落が深くなるとお思いでしょう 一方、男性のほうは崇高な不屈の精神で守られた善に対する生まれつきの性向が備わっていて、試練や困難によって磨かれば磨かれるほど、いっそう育まれていくものだとお考えなのでしょうー

***

アン・ブロンテのこうした話を 私は若い時に読めば どう影響されたのかな。
「女性の歴史は」変化に富んでいる いやこんな言葉だけでは。
今の私がこのアン・ブロンテの書いたことを読むと 「男性は勝手に女性の理想像をつくりあげている」「それは 男性像にたいしても そうじゃありませんこと」と今でも 重なる部分と 「そうやって女性は変化してきたんだけど 今どういうふうなところにいるのかな」と考えているところです。すぐ忘れますけども 

さいならさいなら 

《 2015.12.29 Tue  _  1ぺーじ 》