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ドビュッシー

『音楽と文化』 川上徹太郎著 創元社 昭和13年の続きです。

ドビュッシー

 1894年、彼の名作の一つ「牧神の午後の前奏曲』が初演された。これが彼の公衆の面前における最初の成功であった。とともにかれはメエテルリンクの「ペアレス」を読み、以後十年足らずをこの歌劇化に没頭したのであった。それは彼が30歳から40歳までの働き盛りであり、その間にも「三つのノクチェルヌ」その他の名作を発表しているが、主としてペアレスにかかり切りであったために、生活費なども出版者アルトマンの援助によっていた。
 1901年ドビュッシーが雑誌『ルヴィユ・ブランシュ』の音楽評論を担当するようになったことは、また大いに彼の生計を助けた。評論家として彼の筆の辛辣さが見方の正確さや表現の奇警さは真に文筆家として一流であることを認める。現在『ムッシュ・クローシュ・アンティ・ディレッタント』という単行本で出てい、邦訳もある。アンティ・ディレッタントすなわち「反・愛好者」とは、今まで私がくり返し述べた音楽の純粋化運動の表現なのであって、彼の精錬された教養は、ついに通人や粋人(いきにん 粋な洗練された人)とか呼んでいいような高級な趣味の世界を音楽のなかに築くに至り、それが彼の作品の繊弱さ(せんじゃく)になるとともに彼の批評の強靭さになったのである。

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メエテルリンクの「ペアレス」を読み この歌劇化に10年かかったといいますね。歌劇って 本を読みそれから歌劇に作り上げていくんですね。え あたりまえ?
その間は 収入もなく 大変ですね。出版者アルトマンが援助していたんですね。雑誌の音楽評論もその間の助けになってる。
「反・愛好者」音楽の純粋化運動の表現なんだそうですね。彼からしたらまわりの音楽家は音楽の愛好者であっても通とか粋ではないというわけですね。

さいならさいなら
《 2015.12.28 Mon  _  1ぺーじ 》