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『ピカソとその周辺』フエルナンドオリヴィエ著 佐藤義詮訳の続きです。

メドラノ曲芸場

 彼はまた、闘牛を闘牛士を、陽光を受けて輝く金ぴかの、独特の味のある、しかもスペインの日光と実に良く調和する彼らの衣装を愛好した。彼は、闘牛場の群衆の雑踏を、彼らの叫び声を、彼らの偶像である闘牛士の巧拙(こうせつ 上手下手)に従って、賞賛から罵倒に変わる彼らの混乱した騒々しい動きを愛好した。
 彼は、自分の性格と反対のもの、自分とはまったく違ったものを愛しているようだった。 彼は、怪しげなキャバレーが、下等な酒場が、ジャケツに白のアンダー・スカート姿の女たちが、思わせぶりな身振りをして客を呼んでいたバルセロナの小路が気にいっていた。 彼は総て激しい地方色に富んだものを好み、その独特の匂いを恍惚として吸いこんでいた。抽象的なものは、何一つとして彼の心を動かすことはできなかったように思われる。 彼がもしパリーで、どこかにこのように特色の著しい場所を見つけ出したのだったら、恐らく、もっといそいそとして夜外出したことだろう。パリーでは、街の祭りだけが彼に興味を持たせたに過ぎなかった。
 とくに7月14日の革命祭は彼の目を楽しませたが、彼の精神や心までがそれに動かされるようなことはなかった。イタリア人の血の混じったアンダルシア人の彼は、このパリーでは、如何に異邦人だったことだろう!彼の母はジェノワの出で、ピカソという名も母方から採り、一方ルイスという父の名は、スペインでは余り有りふれていたので承け継がなかった。 かれは全くラテン的な一種の素朴さのある、多少野卑なあの烈しい性格を反映していたものに感動していた。

***

「彼は、自分の性格と反対のもの、自分とは全く違ったものを愛しているようだった」自分の性格と反対のもの?これどういう意味なんやろ。
イタリア人の血の混じったアンダルシア人のピカソ ま 日本人の私としたら 太陽のように明るく熱い人という気はするのですが。
ピカソの名前は余りにも長いそうですが あそこらへんの人は欲張りやなあと思ってました。けれども先祖の名前を忘れないためともいえそうです。聖人の名前まで 入ってる。
すごいわ。神の子というのは 神の名前を付けさせてもらってもいいってことか。
ここにはそんなことちっとも書かれてませんが。思いついた想像は 書いておきたいんで
す はい。
で、ピカソはやっぱりパリーよりスペインのあの闘牛なんかの烈しさを愛していたってわけですね。ピカソはパリーを描きたくてきたんじゃないんでしたね。パリーはどういうところだったのか

さいならさいなら
《 2015.12.27 Sun  _   》