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ゴーグ

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『印象派時代』福島繁太郎著 昭和18年の続きです。
作品は世界の美術19「ゴッホ」河出書房 1963年です。

ゴーグ
ヌエネン時代(1883年12月ー1885年11月)

 ゴーグの作品に特色が現れ、かつ現在その作品が相当残っているのはヌエネン時代からである。この時代の彼の造型理念を支配したものは、オランダ的の執拗な写実主義である。彼は生活の周囲のものを熱心に描いた。人物としては織職人や百姓たちを多く描いた。彼がモデルに選んだ人物は常に仕事にうちひしがれ、貧乏に悩まされながらも起き上がって来る頑健な人々である。ゴーグはこの頑健さをよく表現している。色調は暗い。ブルン、ヴェール・アングレ、ブルウ・ヴェール、黒等で輝いた華美な色彩はない。陰惨な空気が漂っている絵であるが、タッチのあとを力強く残す描方で明暗の対照も強い。ゴーグの特徴である野性的な逞しさと情熱の激しさはすでに感じられる。「馬鈴薯を喰う人々」はこの期の代表作であろう。この作品の準備のために多くのデッサンをしているが、画業に専心していまだいくばくでもないに拘らず、素描力の強さは驚くのほかない。
絵のうまい人間は初めからうまいので、ただ世人は気がつかないのだということをつくづく感じる。後年彼は感情のほとばしるごとに形態も自由にデフォルメして闊達に描いたが、このがっちりした素描力の裏付けがあったればこそ、けっして崩れた感じを与えなかったのである。
 静物においても質実な地味な色彩の暗いものを選んでいて、陰惨な気分の流れていることは同様である。特異なる題材としては「小鳥の巣」がある、彼が少年時代一人で野原を歩いては小鳥の巣を探すのが好きであったと云われるが、その現れかもしれない。
 1885年の11月、すべての作品をアトリエに残したままアントワープに去った。この作品は後に箱に入れられてプレダのある大工に預けられたが、誰もそのことを忘れてしまった。この箱は古道具屋に売られ、その一部分は無価値と信じて焼き捨てられた。(ド・ラ・アイユ、ゴーグの作品)
 アントワープにおいても熱狂的に制作する傍らアカデミーにもデッサンの学校にも通って修業に勉めた。

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「小鳥の巣」彼が少年時代一人で野原を歩いては小鳥の巣を探すのが好きであったと云わわれる。
どんな絵でしたっけ。今度探してみようと思います。

すべての作品をアトリエにのこしたままアントワープに去った。ゴッホさん なんということを! このページは 驚きました。焼き捨てられた作品もあったのですね。
熱狂的に制作して後 ゴッホは そのときの調子はどうだったのかなあ。
熱狂的に描く人 その時は夢中ですからわからないんでしょうけど あとで 発作を起こしたり たおれたりするんでしょうね。ゴッホは本来体は丈夫だったんでしょうか。などと テオはどうだったのかなあ まあ占い師さんじゃないですから わかりようがないんですが。

さいならさいなら
《 2015.12.02 Wed  _  1ぺーじ 》