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他人の絵 自分の絵 瀧口修造

コレクション 瀧口修造 1991 みすず書房の続きです。

他人の絵、自分の絵

 ところでフォートリエの一行とのお別れの席上、私はフォートリエ夫人にも記念のサインをたのんだ。フランス人にはめずらしく無口な夫人は古典カタログの扉に「黙っていても心は通じます」(ユヌ・ミュエット・サンパティ)と書いて署名してくれた。私がはっとしたのはその味わい深い言葉よりも、ジャニーヌ・エプリ・Fと書かれたサインであった。なぜなら以前に「エプリ・リプロダクション」という複製の紹介を読んだことがあるからだ。
やっと10年前の「タイム」を探し出してみると、ちゃんとフォートリエと並んだ夫人の写真が掲載され、自作の複製を見たブラックが「これはもう複製ではなく、原作の再製だ」と激賞したことが報ぜられている。フォートリエの「複数原作」もこの夫人の協力だったにちがいない。いずれにしても芸術家には沈黙の部分がある。そしてジャニーヌ・エプリ夫人はまさにそれだったのだろう。すくなくとも私はそう納得して引き下がった。
 ついでのことにもう一つ「他人の絵」について書いておきたい。一月五日から国立近代美術館の現代写真展と同時に、ブルーノ・ムナーリの「ダイレクト・プロジェクション」というものが映写室で発表される。イタリアの異色のデザイナーとして知られているムナーリの考案したこのスライドは、セロファンや雲母のような透明な物質そのものでデザインした無職の抽象絵画なのであるが、ある種の偏光フィルターを通すとあざやかな色彩がスクリーンに現れ、更に回転するにつれて色彩が微妙に変化する。それは描かれた絵でも、写真でもない。「直接映写」の名はそういう意味でつけられたのだが、ムナーリはそれを自分の作品の展覧会のつもりでいる。一昨年私がミラノのムナーリを訪ねたとき、それを始めて見せられた。ちょうどストックホルムの美術館から戻ってきたスライドの小さな包みを示し「これが私の展覧会のすべてです」とユーモラスに語ったが、こんどまるでクリスマス・プレゼントみたいに身軽な航空便で贈ってきたわけである。映写する絵画、色彩の変化する絵画、どう呼んでもいいだろう。ムナーリという人はこの「反(アンチ)絵画」を微笑しながら見せてくれる前衛デザイナーといってよいだろう。私は数人の画家たちと試写してみながら、純粋に光学的な色彩がえがく絵画についていろいろと考えないわけにはいかなかった。絵の具の色も、りんごの色も、それからこの夢の虹のような光の色も結局は同じ色彩現象ではないか。
 フォートリエの複数原作の夢とその数も質もまれな「人質」の傑作との距離。かれとはまったく異質な芸術家ムナーリのスライドと絵画との距離。それはけっして夢の距離ではない。カラー・テレビの普及に第一歩をふみ出した年。世界デザイン会議が東京で催される年。日本国際版画ビエンナーレの年。ヴェニスのビエンナーレ、ミラノのトリエンナーレの年。今年は大いに「他人の絵」にひきまわされる年になるかもしれない。私も最初の書き出しに反してとうとう他人の絵について語ってしまったが、一年の猶予期間をもっとも有効に使いたいものだと思う。

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この滝口修造のコレクションを読んでいますと フォートリエとかムナーリというまったく私の知らない現代絵画の前衛芸術家が出てきます。ではいまその人たちの作品を調べてみようかな と思うのです。もう一つは作品とはやがて出会うとして 現代絵画 現代芸術は
「従来の絵画との距離」をわれわれに見せてくれようとしているのかと そのことに考えを持って行ってみようかなとも思います。フォートリエの「複数原作」名作は一点だから
貴重で宝で高いのよ ということに ちょっと「そうなの?」とためしてみるところ それが彼の作品。絵はとても不思議な物だと 私もよく思いましたが。たとえば作品が有名になると みんなは競ってその作品を高い値段で買い求めようとしますね。一枚しかないことの価値。その原作を複数そろえて展示すると人はどう動くのか。面白いですね。ムリーナのスライド これはすくなくとも1991年の話でしょう。世界デザイン会議はいつあったのですか?スライドのアートは今ではよくある話ではないですか?しかしムリーナがこういうことをはじめたのですね。「光の色も結局はおなじ色彩現象ではないか」
そうですね。
印象派が好きで私は育ちました。前衛芸術はどれだけの距離でもって 私の前にあるのかな 

さいならさいなら

《 2015.12.25 Fri  _  1ぺーじ 》